ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL配合が必要で、その必要な配合が出来得るためには、またどんな条件が必要であったかと考えて見ると、ほとんど想像がつかないだろう」と。次に、こういうことをグダグダ言うんです。「どうしてあの女はあすこへ嫁に行ったのだろう」。あの女って清子さんですよ。自分を捨ててほかの男と結婚しちゃった人。次は自分のことも言ってるんですよ。「このおれはまたどうしてあの女(お延さんのことね)と結婚したのだろう」。そんなの知るかっていうんだ。自分で考えろって言いたくなるでしょう。つまり、去っていった恋人には未練たらたら。新婚6ヶ月の奥さんがいるにもかかわらず、結婚したことに対してまだ迷いがあるってこれ最低ですね。そういうふうにグジャグジャ言ってて、そのセリフの中で「偶然」、ポアンカレーのいわゆる複雑の極地、何だか分からないって分かるわけじゃないじゃないかって言いたくなるんです。場面がずっと展開してって、これも冗談めかして言うと一種の偶然かなあと思うんですけれども、未完に終わった新聞の連載の最後のところです。もう本当に面白くなってくるところで終わっちゃってるんですけど。津田と清子さんを引き合わせた吉川夫人っていうでしゃばりおよねみたいなおばさんがいるんです。津田の上司の奥さんなんです。この奥さんがまた余計なちょっかいを出すんです。清子さんは流産をして静養に温泉に行ってたんです。吉川夫人はそれを聞いたわけです。そこで津田にけしかけるんです。「清子さんのいる温泉宿に行って、わたしから預かったって言って果物カゴをお見舞いに届けて、それで再会のきっかけができんじゃないの」っていうようなことを言う。良くないよね、こういうの。姦通をそそのかしてるわけです。するとまた、津田っていう奴が豆腐の頭にっていうような男ですから、ホイホイとのっちゃうんです。旅費や滞在費は吉川夫人に出してもらう。未練のある女性に会えるっていうから行っちゃうわけです。それで、最後の場面ですけども、温泉宿の清子さんの部屋に果物カゴをぶら下げて部屋に入って行くんです。清子さんは当然びっくりしますよ。何で来たんだろうと。ましてや吉川夫人っていう人からお見舞いの品までもらって。だから、怪訝な顔して質問するわけですけれども、そのときのまた津田のセリフがずるいんですよ。「偶然ということも世の中にはありますよ」。ここでまた偶然を持ってきてるんです。冒頭に言ったポアンカレーの「偶然」がここでまた頭を出してくるんです。これ、偶然じゃないんですよ。策略を講じて清子さんのとこに会いに行ったわけです。人智の及ばない原因が複雑に絡まってよく分からなくなって、ある結果が出てきたことを「偶然」とわれわれは言うわけですね。津田の行動は、偶然じゃないんです。計算に計算を重ねて訪ねてってるわけですから。考えてみれば、かつての恋人といったって人の奥さんになってる人ですからね。若い女性が温泉宿に一人でいるときに、男がその部屋にノコノコ入って行くっていうこと自体が非常識でしょう。するべきじゃないんですよ。それをしただけ、これは姦通の入り口に自分で足踏み入れちゃったっていうことです。百歩譲って、そうするんだったら、男だったら本心を言えっていうんですよ。そうでしょう。自分の思いを、あなたを今でも諦められないと。自分は結婚しちゃったけども。本心をぶつけんなら、ぶつけんだって良くないよ、それは人の奥さんにそんなこと言うのは。良くないけども、まだ救いはあると思う。ところが、偶然って世の中にありますよね。自分も手術のあとで静養しようと思ってこの旅館を探したらたまたまあなたがここに来てるっていうのを吉川夫人から聞かされて云々なんていうことを言うわけですよ。だから、世の中には偶然なんてことがありますよなんて、嘘っぱちばっかり言ってるんです。結末がどうなるかっていうのはもちろん分からないんですけれども。連載はかなり長くなってます。それから、漱石は誰宛てだったかな。名前忘れちゃったけれども、亡くなる1ヶ月ぐらい前、「『明暗』は長くなるばかりで困ります」って手紙に書いてるんですね。「来年まで続きそうです」と。「本になったら読んでください」って書いてある。これをどう解釈するかはなかなか難しいんですけれども、おそらくそろそろ終わるよっていうことを言ってんじゃないかなあと思うんです。自分の健康状態っていうのは、漱石は何度も大病してますからね、ある程度自覚はあったと思うんですよ。そうすると、「本になったら読んでください」っていうことは、そろそろ終結に向かって出版しますよという意識がどこかにあったんじゃないかなあと思うんです。416