ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALをはらんでいます。それはさておき、「本式に癒るようになるんです」という部分で再び医者が表明する確信には、説得力がありません。なぜなら、先程述べたように、この医者はすでに自分の間違いを認めていますし、その上彼がついもらす「まあ」という言葉が、自分自身の説明を弱めてしまっているのです。津田は、再び沈黙するしかなく、「黙って点頭」きます。医者の方では、津田の沈黙を破るべく、はたらきかけるわけでもありません。ここで、この沈黙に前の物よりも長い新しい部分が介入してきます。津田による顕微鏡、そして細菌の描写に始まって、語り手は時間をさかのぼります。それによって、人物の心理、もろさ、疑念を説明することができるのです。ふとこの細菌の事を思い出した。すると連想が急に彼の胸を不安にした。すると、この沈黙から避けがたい質問が浮かんできます。当時のもっとも恐れられていた問題に関する質問、つまり結核についてです。「もし結核性のものだとすると、仮令今仰しゃったような根本的な手術をして、細い溝を全部腸の方へ切り開いてしまっても癒らないんでしょう」医者の答えはこれまでのものに比べて、いっそう驚くべきものです。彼は、心配している患者を前にしていることを忘れて、まるで他の医者と理論について話しているかのように、純粋に論理的な回答にとどまって、言います。「結核性なら駄目です。」そして、それだけでなく、より細かい説明さえ加えます。「それからそれへと穴を掘って奥の方へ進んで行くんだから、口元だけ治療したって役にゃ立ちません」それから、何だというのでしょう?それから、医者は黙ります。そして、津田はまたもや疑いの中に取り残されます。こうして、津田は再び自分から言い出さなければならず、言います。「癒りっこないんですか。」と前に訊いたように、医者にはっきりと訊きます。「私のは結核性じゃないんですか。」そして、前の答え(「そんな事はありません」)と同じように、医者ははっきりと否定して言います。「いえ、結核性じゃありません。」もっとも、前と同様、医者は安心させることができません。医者の言葉は、前にも述べたように、信頼できるものではなく、それだけでは十分ではないのです。語り手は、すぐに津田の疑いに満ちた態度を描写し、このことを裏付けします。津田は相手の言葉にどれほどの真実さがあるかを確かめようとして、ちょっと眼を医者の上に据えた。医者が黙ったままで患者を安心させようとしません。ですので、患者の方が、その証拠を求めて言います。「どうしてそれが分るんですか。ただの診断で分るんですか」すると、医者は「ええ」というぞんざいな返事をします。おそらく彼は少々いらだち、少々尊大な態度で、「ええ。診察た様子で分ります。」と言います。とはいえ、この医者は最初の診断を誤ったのではなかったでしょうか。また、顕微鏡が、人の目には隠された世界の存在を示唆しているのではないでしょうか。ところが、会話はまた別の存在の条件が想起されることによって、急に打ち切られます。病人は診療所で一人ではないのです!彼は複数の病人の中の一人でしかなく、彼に与えられた時間は限られています。津田は、疑いを抱いたまま、医者の判断に任せるより仕方がありません。こうしてみると、「電車に乗った時の彼の気分は沈んでいた」というその「二」の始めは、読者にとって驚くべきものではありません。この第一章の分析によって、『明暗』の会話が辿る「下り坂」、その急な「勾配」について、何が明らかになったのでしょうか。1.一つ目は、会話はほぼ必ず特殊な場面で交わされ、非常に具体的なことがら、しかも必ずしも快くないことがらと関わっています。そして、それは、必ずしも対等な関係にない登場人物たちの間で交わされ、力関係の影響のもとにあるのです。2.二つ目は、相手を傷つける言葉、避けるべき言422