ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

ページ
425/542

このページは RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌 の電子ブックに掲載されている425ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

『明暗』における会話の勾配葉、言い換えるべき言葉、婉曲に言うべきことがあるということです。3.三つ目は、沈黙、そして言われるべきなのに言われない言葉があり、これも傷つけるということです。4.四つ目は、非言語コミュニケーションが重要な役割を果たしますが、それが信頼を打ち壊してしまう言葉や沈黙によって引きおこされた損害を補填することができるわけでは、必ずしもないということです。5.五つ目は、会話は調和を生み出す術、他人のリズムに自分のリズムを調節する術であり、タイミングを間違えることなどによって生じるずれは、好ましくない結果をもたすということです。6.六つ目は、重要な問題とは、信頼の問題、信頼をいかに築くかという問題、信頼を築くために必要な条件とは何かという問題だということです。ところが、言葉の信憑性を疑問に伏してしまいかねない、やってはいけないことがあります。例えば、確信と過ちの告白を混ぜること、極端な正確性と曖昧な部分を混ぜることです。そして、より広範には、思いやりに欠けること、つまり、人が自分の世界に閉じこもり、他人の論理や心配を無視することです。これらの点を小説全体に当てはめることができるでしょうか。まず、『明暗』は、始まりと同じように、会話の困難のうちに終わります。ここでは、またもや津田と、そして今度は清子との会話です。「百八十七」の始めに、二人の登場人物は、意に反して、彼らの会話がやはり「下り坂」を辿っていることに気づきます。しばらくして津田はまた顔を上げた。「何だか話が議論のようになってしまいましたね。僕はあなたと問答をするために来たんじゃなかったのに」清子は答えた。「私にもそんな気はちっともなかったの。つい自然其所へ持って行かれてしまったんだから故意じゃないのよ」「故意でない事は僕も認めます。つまり僕があんまり貴女を問い詰めたからなんでしょう」(「百八十七」)状況は多少よくなりますが、小説最後の文、つまり漱石にとって最後の文は、相手の言葉も微笑も理解できずに当惑している津田を描いています。津田は驚ろいた。「そんなものが来るんですか」「そりゃ何ともいえないわ」清子はこういって微笑した。津田はその微笑の意味を一人で説明しようと試みながら自分の室に帰った。(「百八十八」)「病的な会話」、あるいは困難な会話というテーマは、つまり作品全体に共通するのです。そして、第1章の「病の会話」は、作品全体の「会話の病」を予告しているのです。では、第1章についてすでに述べた点に関して、より詳しい説明を試みることにしましょう。1.まず、会話は常に力関係が関わってくる場面やその枠組みのなかで交わされるという点です。このことは、小説全体に現れています。例えば、まず間もなく手術を受ける状態から、手術を受けたばかりの状態へと移行した津田は、「創口へガーゼを詰めたまま」(「四」)ですが、これは非常に不快な状況に違いありません。力関係について言えば、非常に早い時期から示されています。例えば、津田の甥の真事が、岡本の息子の家には遊びに行かないと説明するときです。津田は漸く気が付いた。富の程度に多少等差のある二人の活計向は、彼らの子供が持つ玩具の末に至るまでに、多少等差を付けさせなければならなかったのである。(「二十四」)貧富、権力、知識、才能の差は、小説の中の会話の大部分に影響するのです。2.そして、人を傷つける言葉に関しては、数々の例が見られます。例えば、藤井家で、津田はお金の結婚について無責任な発言をします。「それでよく結婚が成立するもんだな」津田はこういって然るべき理窟が充分自分の方にあると考えた。それをみんなに見せるため423