ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

『明暗』における会話の勾配津田の言葉は誰にでも解り切った理窟なだけに、同情に飢えていそうな相手の気分を残酷に射貫いたと一般であった。数歩の後、小林は突然津田の方を向いた。「津田君、僕は淋しいよ」津田は返事をしなかった。(「三十七」)そもそも、「嘘」という言葉はこの小説の中に60回も現れます。嘘、隠蔽というテーマは、作品全体の中で中心的な位置を占めているのです。このテーマは、街頭で津田とその甥が手品遣いを見物する場面の核となっています。この部分は一読すると特筆すべきことがないように思われます。しかし、津田が手品遣いの嘘をあげつらうとき、甥はだまされません。しても同じなのです。また、彼らは、彼ら自身の利己主義が引きおこす矛盾にも動揺するのです。こうして、会話が「下り坂」を辿るべく、すべての条件が満たされるわけです。とはいえ、実際に会話が「下り坂」に入り込むことも、それを悪化させることもありません。その意味するところが、『明暗』は病的な会話の小説であるという以上に、病的な会話が悪化するのを防ぐものの小説である、ということだとしたらどうでしょう。とすると、私の発表は本質から外れているということになるでしょう。(原文:フランス語、日本語訳:下境真由美)「だってこの前もその前も買って遣るっていったじゃないの。小父さんの方があの玉子を出す人よりよっぽど嘘吐きじゃないか」(「二十二」)つまり、津田は医者よりも信頼できる人物ではなく、少なくともこの手品遣いよりも信頼できるわけではないのです。さらには、お延は芝居に、津田は温泉に行くために、夫婦がそれぞれ名人技級の嘘を披露するという点も見逃せません。嘘は、彼らにとって処世術とも言えるのではないでしょうか。時間が許すなら、夫婦げんかではなく、この小説唯一の本当のけんかである、「九十二」から「百二」にかけての、お秀と津田の間の兄妹げんかの場面に触れたかったのです。このけんかは、その後登場するお延を交えた三人のけんかへと発展します。しかし、この小説の興味深い点は、おそらくまさに、すべてがそこに収斂するように思われる夫婦げんかが実際にはおこらず、彼らが驚くべき「妥協」(「百五十」)に徹することにあります。津田とお延は「十分な知」を持ち、フランス思想家ブレーズ・パスカルが呼ぶところの「生半可な知者」です。ところが、彼らは、一方では吉川夫人や岡本のような会話の達人に動揺させられます。また他方ではお秀や特に小林のような、その場の状況を利用することに長け、そして特に会話の規則を無視してはばからない、行動が予想不可能な人物を前に427