ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALに何んな変が此肉体のうちに起こりつゝあるかも知れない。さうして自分は全く知らずにゐる。恐ろしい事だ」(二、7)と感じていることもその複線といえます。先のことがわからないことに対する恐怖は、「朝鮮」へ「落ちて」ゆくことになる小林も共有するものともいえるでしょう。『明暗』が書かれていた時代は、日本が第一次世界大戦に参入していた時代でもあります。この大戦は一九一四年に始まって一九一八年に終了したのだから、『明暗』の時代背景は戦争の時代、ともいえます。日本はドイツに宣戦布告することで参戦し、南洋群島にまで攻めていったのですが、それは勝利する場合山東半島を手に入れることができるからでした。いうまでもなく、それは、台湾と朝鮮を植民地にした大日本帝国の、次の植民地となるはずの場所でした。そうした時期、『明暗』が書かれた同じ年――一九一六年に、大阪朝日新聞は河上肇の『貧乏物語』を掲載しています。『明暗』は五月二十六日から十二月十四日まで連載されましたが、『貧乏物語』の方はすこし遅れて、九月一日から十二月二十六日まで連載されました。漱石がこれを読んだと見るのは無理な推定ではないでしょう。つまり、この時代は国外では戦争で国力を誇り、国内では貧しい人が多くそのことが社会問題として意識されていた時代でした。『明暗』にはさりげなく「乞食」(十三、41)が登場していて、こうした時代の断面がしっかりと描かれています。さらに、道端の「乞食」ではないにしても、友人の古い外套を譲り受けて、住み慣れた地を離れていく、小林のような人物が登場するのはまさにこうした時代の反映だったに違いありません。漱石の修善寺での療養の時見舞いに来た石川啄木が貧乏と病気の末にわずか二十六才で亡くなったのは、『明暗』が書かれる四年前の一九一二年でした。「働けど働けど、、、、、、」の歌が収録された『一握の砂』が出たのは一九一〇年で、このときはまさに啄木が朝鮮合併に対する気持ちをも残した年でもありました。貧乏で病気をも治療できずにわずか26歳で亡くなってしまった啄木が朝鮮に思いを寄せたのは、「弱き者」への共感だったのかもしれません。実は啄木は漱石の修善寺にも見舞いに来ていて、漱石は啄木の葬式にも参列しています。啄木とのこうした付き合いは、漱石が「貧しさ」について関心を持ち始めたきっかけになったとも考えられます。実際に、『明暗』はすでに多くの論者が指摘するように「お金」をめぐる話であり、それを支えるように、「質屋」に関する言及も少なくありません。近代的銀行――がまだ機能しない時、だからこそ自己の生存を知り合い――人的関係に頼るほかない時代の物語とも言えるでしょう。そして『明暗』に小林という人物が登場するのはそうした背景があってのことと考えられるのです。3.小林と朝鮮小林が朝鮮へ行くのは、貧しいからです。つまり、植民地は、日本の中に居場所を見出せなかった人が移動していくような場所として機能していました。いわば、その地において生きていけずに「外部」に押し出されることになる日本国民を描いた話とも言えるでしょう。津田には足りない分を仕送ってくれる親と、家を持っていて、そこを仕切ってくれる奥さん、そして身の回りの世話をしてくれる下女までがいます。しかし小林には親も家も奥さんもなく、養うべき妹がいるだけです。そうした所有の有無が登場人物の明・暗を分けているのは言うまでもありません。同世代でありながら、小林に奥さんがいないのは、家と仕事を持っていないことが大きく影響するはずです。時代は見合いの時代で、条件とは財産など、所有の有無を見ることでもあるからです。小林の立場は、若者たちが仕事を得られずに、恋愛・結婚・家を諦めているような現代の若者とあまり変わりません。つまり経済的条件が人的資産も保障するような時代を小林は生きているのです。そして、追われていくように小林は朝鮮を選択します。しかしそれは、必ずしも小林自ら願ってのことではありません。また、必ずしも明るい未来を予想してのことでもありません。次の例文を見てください。「実はこの着物で近々都落をやるんだよ。朝鮮へ落ちるんだよ」(三十六、114)「斯う苦しくつちや、いくら東京に辛防してゐたつて、仕方がないからね。未来のない所に住430