ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL鹿爪らしく彼の着席を待ち受ける座蒲団や、二人の間を堰くためにわざと真中に置かれたように見える角火鉢ほど彼の気色に障らなかった」。部屋に置かれた品々から受けるよそよそしい印象の方がずっと気に障る、というわけです。なぜかといえば、清子は元来、緩慢な性質であり、それが動作に及ぶことを津田は承知しているからです。「そうしてその特色に信を置き過ぎたため、かえって裏切られた。少くとも彼はそう解釈した」と、二人の破局についての言及がありますが、いずれにしても、この場面でも、清子の〈気配〉がまずは描かれ、続いて清子その人が姿を現わす、という段階を踏む書き方になっているのです。この点について、もう少し考えたいと思います。この場面では、清子の〈気配〉は、先に挙げたような品々、とくに「絹(の着物)」や「寒菊」などに託されています。もちろん、清子はその温泉場に逗留している客なので、先に並べた品々の多くは、清子の持ち物ではなく宿の備品でしょう。とはいえ、その室に滞在するあいだは、室の主人は清子であり、清子が使う品々だという意味で考えると、やはりそれらは清子の〈気配〉に係わる品々といえます。そうした品々の描写が、眼前にいない室の主人を浮かび上がらせる、つまりは〈気配〉を示すかたちになっているわけです。津田はここでも、清子の〈気配〉を感じながら、すぐにはその人を視界に捉えることはできません。段階・過程があり、ずれがあるのです。それだけに、作者が津田と清子の遭遇や対面を、短絡的に、あるいは短縮して描くのではなく、あくまでも細心の方法をもって、こまやかに追いかけ描出していることが伝わってきます。もう少し引用します。「清子はただ間を外しただけではなかった。彼女は先刻津田が吉川夫人の名前で贈りものにした大きな果物籃を両手でぶら提げたまま、縁側の隅から出て来たのである」。私はこの描写の具体性に惹かれます。この具体性に、作者が力を注いでいることが感じられます。部屋を訪ねるといっても、こんにちは、いらっしゃい、ご無沙汰しています、とスムーズに運ぶのではなく、まったく思いがけないかたちで清子は出現するのです。なぜか、先に届けた果物籃をぶら提げて。果物籃は、清子にとって、本来なら受け取ることを遠慮したい品なのでしょうか。吉川夫人の名で津田から届けられた品だから、辞退したい気持ちがあるのでしょうか。そうではないようです。続けて引用します。「どういうつもりか、今までそれを荷厄介にしているという事自身が、津田に対しての冷淡さを示す度盛にならないのは明かであった。それからその重い物を今まで縁側の隅で持っていたとすれば無論、一旦下へ置いて更に取り上げたと解釈しても、彼女の所作は変に違なかった。少くとも不器用であった。何だか子供染みていた」。結局はそのすべてを「如何にも清子らしい」と、津田は受け取るのです。清子の性質はそういう緩慢なものだ、と。だからこそ「眼覚しい早技で取って投げられ」た、と破局のことを思い返さずにはいられないのです。繰り返しになりますが、突然立ち去られた理由がまったく理解できないのです。この後、緊迫した対面の場面が続くことになります。昨晩、ばったり出会ったのは、どういうことだったのか。そのとき、清子が尋常ではないほどの驚き方をした背景になにがあるのか。津田は、二人の破局やその理由と結びつけて理解したいのです。清子の側からすると、そもそも、なぜ津田がこの温泉場に来ているのかわかりません。その目には、吉川夫人から託されたという果物籃も、不可思議な贈り物と映ります。津田と清子の対話は、緊張をはらんだまま展開します。私が選んだ「一七六」「一八三」からは外れていくことになるので、このあたりで留めます。最後に清子が理由を伝えずに津田のもとから去ったこと、そしてその理由は、「明暗」全体を覆う謎です。もし、作者がこの作品を完成させていたらどこまで書かれたのか、どういうことが描かれたのか、という点を含めて、「明暗」は想像する面白さと余地を多分にもっている作品です。「明暗」の登場人物たちに関してですが、読んでいくと、〈性格〉が描写されているというよりも〈人物〉が描かれている、という印象を受けます。心理描写が多用されているのですが、それでも、総合的に見ると〈性格〉というより〈人物〉という言葉がふさわしいと思います。この点については、これ以上触れませんが、漱石の小説をめぐって考えるとき、一つの入り口になることかもしれないと思います。まとめになりますが、今回は「明暗」について、438