ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL NO. 3 (2015.「探10)りを入れること」―『明暗』の書き出しから―国際シンポジウム漱石の現代性を語る「探りを入れること」──『明暗』の書き出しから──堀江?幸Probing Deeply:From the Incipit of Meian (Light and Dark)Toshiyuki HORIEAbstractA serialized novel is a harsh format for the writer. Sections that have already been printed cannot bechanged later. The development of such a novel essentially involves groping. Meian (Light and Dark) is noexception. Thus, I shall attempt to“probe deeply”into the incipit.今日は、『明暗』のなかからひとつかふたつの章を選んでなるべく具体的に語るという中島先生のお誘いに応じて、冒頭の第一章と第二章を印刷していただいたのですが、いま、ロズラン先生がおなじ箇所を「勾配」という言葉を用いて見事に分析されましたので、重複を避け、この場で考えたことを加えながら、当初の予定をゆっくり逸脱していくかたちでお話したいと思います。「医者は探りを入れた後で、手術台の上から津田を下した。」これが第一章の冒頭、未完に終わった、四百字詰め原稿用紙千八百枚に及ぶ小説の、第一文になります。よけいな飾りのない、簡潔で短い文章です。何度も書き直した末にこうなったのか、もとからこうだったのかは誰にもわかりませんが、最初に言葉を置いたら、書き手はとにかく先をつづけなければなりません。少し書き進めてまた前に戻り、流れを確認しながら随時表現を微調整することはありうるとしても、残された作品の冒頭はひとつだけです。他に多くの選択肢があるなか、漱石は真っ白な原稿用紙に記す第一文をこのようにはじめてしまったわけです。逆に言えば、未完に終わったとはいえ、『明暗』はここで蒔かれた種から伸びた芽でできていることになり、それ以外ではありません。では、この文章の入り方がちがっていたら、どんな展開になっていたでしょうか。ロズラン先生が指摘されたとおり、「医者は」と記すだけでは、なにを専門とする医者なのか特定できません。そのあとの手術台という言葉を聞いて、ようやく外科的な診療が可能な分野だとわかるのですが、もしかするとこれは本当の医者ではなくあだ名のようなもので、医者、学者、役者と呼ばれる三人が『三酔人経綸問答』さながら話を回していく、その第一段階でないともかぎりません。第一文は、作品全体の重力に耐えうる礎石であるばかりでなく、文章の呼吸や間という芽を生やすひとつの種の、最もめざましい事例でもあります。「医者は探りを入れた後で」までを声に出して読み、そこでいったん休んでみると、その先をさまざまに展開しうることに気づかされるでしょう。同時にそれは、漱石がなぜ「医者は探りを入れた後で」と書き始めたのかを考える手がかりになるのです。たとえば、このあと「珈琲でも飲むかね、と津田に云つた」とつづいていたら、患者が自分にとってなにか不利になりうる情報を握っていて、それを外に流そうとしているらしい、あるいは流す危険がある、だから少しかまをかけてみるのだといった文脈に押し込むことができるでしょう。探りを入れると441