ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALは、具体的な反応や回答を期待せず、うまくすればなにか情報が得られるかもしれないと思いながら語りかけることです。『国語大辞典』には、探り・捜りの第一義として、「さぐること。様子をうかがうこと」が挙げられ、ほかならぬ漱石の『虞美人草』から、「『あなたの方が姉さんよ』と藤尾は向ふで入れる捜索の綱をぷつりと切つて、逆さまに投げ帰した」という一文が引かれ、「捜索」に「さぐり」とルビが振られています。また、「探り」をもっと意識的におこなえば、「特に、敵情をさぐること。また、その者。間者。しのび。探偵」の意となり、探偵小説の書き出しとして、可も無く不可も無いものになりえます。私たちは、そして当時の漱石の読者は、『吾輩は猫である』の猫や『彼岸過迄』の敬太郎が「探り」を繰り返していた事実を知っています。「探り」は、漱石の世界において親しみのある言葉でもあるのです。会話体になる第二文にふくまれた情報を、第一文に組み込むようなかたちで物語世界に入っていきたいと考える人もいるでしょう。「医者は探りを入れた後で、矢張穴が腸迄続いてゐるんでしたと云つた」と説明しておけば、「探り」という言葉を使わず、そこに過度な意味付けをすることを回避できるからです。あるいはまた、「医者は手術台の上に横たわつた津田を見下ろして、矢張穴が腸まで続いてゐるんでした、と云つた」などと改変しても、事実を伝えられた患者がどう反応するかを確かめているだけですから、「探り」という言葉を用いずに探っている状況を作り出すことができます。しかし、これが医者の仕事そのものである医療行為であったとしたらどうでしょうか。「探り」には医療器具の意味があります。『国語大辞典』の「探り」第六義に「医療の具。創傷や腫れ物の深さをさぐってみるのに用いるもの。消息子。ゾンデ」とある、その器具です。津田を悩ませている病の診察の基本は、触診です。医者は自分の指を入れて内部の様子をうかがい、必要があれば器具を用いる。この器具が部外者にはひどく恐ろしい。「医者は探りを入れた後で」で止めたとすると、医者だけでなくこの「探り」の意味が瞬時に確定できません。相手の姿勢や態度を確かめ、その先を促すための言葉なのか、患部に入れる器具なのかの判断は、その先にゆだねられます。実際には「手術台の上から津田を下した」となっていますから、医者があだ名ではなく、本物の医者であることがすぐにわかります。新聞連載で『明暗』を読み始めた当時の読者は、筋書きなど知らされてはいません。他方、後世の読者は、『明暗』と呼ばれる小説の冒頭の数章に、漱石自身の痔の治療が活かされていることを、幸か不幸かすでに情報として持っています。では、作家自身は、はたして自分がなにをやりたいのか、どこまで見通して第一文を書きはじめたのでしょうか。創作ノートがあるとはいえ、冒頭を書いてしまったがゆえに、そうせざるをえなくなったということは、ありえないでしょうか。小説の生理的な特徴とその後につづく文章の有機的な力は、多くの場合、第一文で決定されます。最初に置かれた言葉の胚が連鎖的に変化し、成長していくので、途中でそれを押しとどめたり、部分的に変更するのは容易ではありません。というより、最初の一語が異なれば、以後はまったくべつの言葉の反応になり、外見は似ていても別種の物語ができあがってしまいます。中間地点の調整ではなく、最初から書き直さなければ流れはよくなりません。たまたま思いつきで置いてしまった石が、あとで大きな働きをすることがあります。いわゆる布石ですが、これは大局観にもとづいた直観的な行為と、漠然とした計算の両方が作用して、事後的な解釈によってその効果が確定されるものです。創作行為においては、計画的に配置するのではなく、なるほどここが岐路だったのかと、すべてが終わった後で見えてくる景色のなかにその石が置かれていると考えるほうが、より自然でしょう。『明暗』の冒頭にある「探り」が布石だとしても、その意味はおそらく最後まで読んだ者にしか見えて来ないもので、書き手の方はまだぼんやりした霧中のうちにいるのです。しかもこの作品には終わりがありません。未完なのです。理屈のうえでは、布石は永遠にその姿を現さないことになります。それでも、「医者は探りを入れた後で」とはじまる第一文には、将棋の一局で言う感想戦でしか指摘できない、現場の視点と外部の視点がいりまじった、後付けの「布石」の匂いがします。ロズラン先生の「会話の勾配」という表現をお借りすれば、「探り」は「時空の勾配」と「可能性の勾配」をあらしめるものでしょう。書き手自身の可能性を自問し、開示するための装置なのです。*442