ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

ページ
445/542

このページは RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌 の電子ブックに掲載されている445ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

「探りを入れること」―『明暗』の書き出しから―先を進めてみましょう。医者は言います。「矢張穴が腸まで続いてゐるんでした。此前探つた時は、途中に瘢痕の隆起があつたので、つい其処が行き留まりだとばかり思つて、あゝ云つたんですが、今日疎通を好くする為に、其奴をがりがり掻き落して見ると、まだ奥があるんです」「さうして夫が腸迄続いてゐるんですか」「さうです。五分位だと思つてゐたのが約一寸程あるんです」ここでの「矢張」は、「探り」が過去の情報や先立つ予想を踏まえた二度目以後の行為であることを示しています。直後の文章でそれが委しく説明されていますが、重要なのは、津田にとって痔の治療と診察がはじめてではないという事実です。患部が患部ですから、初回かそうでないかによって、ベッドに横たわる側の恐怖感や緊張は大きく異なるでしょう。二度目だという事実を読点のあとにもってくることで、前半の密度が高まるのです。患部が悪化しているのは、そうなるまで放っておいたこと、不摂生かストレスか、そのような状態に患者を陥れた原因があることをも読者にほのめかしています。「今日疎通を好くする為に、其奴をがりがり掻き落して見ると、まだ奥があるんです」の根拠は、指先ではなく器具を触手として延ばして閉塞箇所を確かめた医者の経験ですが、こんなふうに考えると、妻の「お延」は、なにか触手を延長させて夫の奥を探る者として、あらたな輝きを帯びそうな気さえしてきます。ところで、「がりがり掻き落して見ると、まだ奥があるんです」の部分からは、おそらくだれもが長く深い穴を想像するでしょう。漱石の読者がここで『坑夫』を連想したとしてもおかしくはありません。この一人称小説には、語り手が鉱山に入り、初さんという男に導かれて「疎通」された穴に入り込む場面があります。「又胎内潜りの様な穴を抜けて、三四間宛の段々を、右へ左へ折れ尽すと、路が二股になつてゐる。その条路の突き当りで、カラカラランと云ふ音がした。深い井戸へ石片を抛げ込んだ時と調子は似てゐるが、普通の井戸よりも、遥に深い様に思はれた」井戸よりも遙かに深いところまで降りて、また戻る。降りていかないかぎり、もどって来ることはできません。死んで、生き返る。胎内くぐりは生と死の双方に通じています。『坑夫』の語り手は、自分はこんな穴のなかで仕事ができるのか、暮らしていけるのかと自問しながら、ある意味どうにでもなれという感覚を抱えて「探り」を入れていきました。坑道は穴であり、管でもあります。漱石は、口から肛門へとつづく坑道の途中にある胃の病に苦しんでいました。『彼岸過迄』執筆前に見舞われた修善寺の大患は周知の出来事です。彼の作品のいくつかは、坑道や消化管のような管でつながっていると言ってもまちがいではないでしょう。漱石はこの深い穴にあえて自分で意識するための「探り」を入れ、どんな展開が待っているのかを、目算なしに確かめたい気持ちがあったように感じられます。『明暗』の連載第一回は、大正五年五月二十六日です。一週間分ほどのストックはあったはずですが、たとえば第三回まで掲載された時点で前二回分のどこかに不備や不満が感じたとしても、誤植の訂正をするくらいが精一杯で、さかのぼって第一回から書き直すことは物理的に不可能です。言葉の流れの方向はもう変えられません。単行本化を待って手を加えるとしても、言葉の水位は不変です。几帳面な漱石は、律儀に、一日一回分書き進めていきました。それでも冒頭で「医者は探りを入れて」と書かなかったら、章立ても展開も残されている状態とはちがっていたはずです。あのような語順で、あのように記したからこそ、「探りを入れる」行為に重きが置かれることになったのです。*さて、第一回で医者に行く場面の原型は、明治四十四年十二月四日の日記に記されています。「○此朝佐藤さんへ行つて又痔の中を開けて疎通をよくしたら五分の深さと思つたものがまだ一寸程ある。途中に瘢痕が瘤起してゐたのを底と間違へとゐたのださうで、其瘢痕を掻き落してしまつたら一寸許りになるのださうである。しかも穴の方向が腸の方へ近寄つてゐるのだから腸へつゞいてゐるかもしれないのが甚だ心配である。凡て此穴の肛門に寄つた側はひつかゝれたあとが痛い。反対の方は何ともない。」443