ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

パネルディスカッションも、それが感じられ、なんとなく全体として明るい人物は、あんまりいませんね。そういう不安、午前中は、津田は嫌な奴という発言もありましたけれども、どうも気持ちが良いとか快適にさせてくれる人物はいない時代というふうにむしろ見てしまっていいのではないかと思います。そうした不安から探りを入れてみたり、いろいろ考えてみたり、それがロズランさんの言葉で言えばいろいろな対話、話の間での微妙な動き、気配として表れている感じがするのではと思ったので、微妙に皆つながっているように思うのです。では明るいところはあるのかということなのですが、全体として、普通の日常を営めるというのはそれでメインの世界であると言っていいのだと思います。誰でも普通に今日と同じような明日を迎えられるというのは、何でもないことなのですけれども、それこそ幸せなあるべき「明」の世界と言っていいのだと思います。そういう意味で、さっきもお話しましたように、この小説は、「明」の世界から徐々に一瞬にして「暗」の世界にいられるかもしれないという世界と言う気がします。漱石も晩年を迎え病気もしているのでありえた感覚かもしれません。あるいは時代を先に読んだということになるとも思います。逆に、今日こういった小説を通して、そうじゃない方向へ持っていく、というふうに小説を読むことになるとすれば、それが小説の「明」になるのではないだろうかと思います。中島:いわゆる大陸放浪者というのは、今までもういろんな形で言われていますね。『門』にもそういう人物が出てきますし。小林はかなり決定的にそういう人物の気持ちが描かれていて、こうした小説は他にないわけですので、小林の言葉一つ一つが、朴さんがいろいろとこだわったことに本当に表れてくる。でも、いかがでしょうか。たとえば小林があんな苦しいことを言うのですけれども、それは逆に周りの外圧が強いから、それに対してどうしても反発しなくてはいけないという、そういう一種の強がりというか、その反発の気持ちみたいなものがオーバーに出るということはないのでしょうか。それこそドストエフスキー的人物ということになりますね。朴:おっしゃるとおりだと思います。確かに、ある意味では小林も探りを入れてみたり、相手の気持ちを聞いてみたり、どこかで助けてほしいというふうに思ったりしながら、言ってみて失望させられたりということになっているので、そういう意味で失望し、反発し、執拗に抵抗してみたり、嫌なことを言ってみたり、嫌な行動をしてみたりということはあるのだと思いますね。引用で挙げませんでしたけれども、その場に存在しないことへの不安がやっぱりあって、だからこそ余計に存在したがっていたところがあるのではないでしょうか。中島:周りから存在を認めてもらえない、軽蔑されている、だから自分が存在するということが確認できないので、逆に自分の存在を主張するようになったりするという感じがします。では、堀江さんから、ほかの方への質問、あるいは語り残したことなどありましたら。堀江:小林というのは、やはりこの小説のなかでとても重要な人物だと、今日あらためて思いました。主人公にとって、とても嫌な部分を正確に突いてくる人なんですね。こういうタイプは、たいてい主人公の影、もしくは分身として現れるものですが、小林はそうではない。単独で動きながら揺さぶりをかける。足がしっかりある亡霊です。そこで朴さんにお聞きしたいのですが、小説のなかで大きな役割を果たすこの人物と、探りを入れるお医者さんの名字が同じであることについては、どうお考えになりますか。『彼岸過迄』にも森本という、小林よりも木の多い名前が登場したりしますが。朴:わたしは医者に特別注目しなかったのですけれども、今日の堀江さんの話を聞いて、そういえばやっぱり意識していたのかもしれないという気がしました。堀江:津田は医者を「小林さん」と言い、お延は夫の友人である小林を「小林さん」と言います。誤って「小林」と呼び捨てにしてもしなくても、どっちの小林か分からなくなる。読者も混乱しているうちに、津田が自分を困らせている嫌な方の小林だと思い違いをして、お尻の話をしないという展開もありうるでしょう。でも、そうはなっていません。文脈によって両者は明らかに区別できるわけですが、どうして同じ名前にしたのか。とても不思議なことだと思うんです。ロズラン:わたしも堀江さんのお話を聞いてびっくりしました。同じ名前ですね。医者としての小林という名前は、「一」「二」には出てきません。「三」で初めて、「今日帰りに小林さんへ寄って診てもらって来たよ」と451