ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALある。堀江:そうですね。ロズラン:たぶんもう1回くらいしか出てきません。堀江:医者は、その章ではじめて名を呼ばれるのですね。ロズラン:が、同じ小林でも全然違う人ですね。こういうヤクザ。無頼漢の小林君と、小林という医者。でも、機能としては同じように津田を動揺させる人ですね。津田もお延も秩序を守る人、「定住」している人です。だから機能としては、冒頭に現れる医者の小林先生と、あとで現れる小林君は、津田やお延に対して同じように結果をもたらします。影響を与えています。だから、こういうふうにその面では同じですね。ある程度までですが。堀江:どちらも「掻き出す」人なわけですね。津田の膿を掻き出す人という感じがします。中島:なるほど、そういうことになっているわけですね。蜂飼さんは、ほかの方のお話うかがっていかがでしょうか。蜂飼:今のお話の続きでいいですか。わたしも今堀江さんがおっしゃったこと、本当にそうだなあと思いました。二人の小林の片方は肉体的なものを扱って、もう片方の大陸に渡ろうとしている小林は津田に対して精神的に迫ってくるところがあるので、肉体的な対峙をする医者の小林と精神的な部分で大きく影響を与える小林と対比的な構図なのだなと、今うかがって思いましたね。もし、作品の中で、登場人物をはっきりと明確に読者が区別しやすくするためならば、どう考えても別の名前を付けた方が読者の頭に残って、新聞小説ですし読み進めやすいですよね。だから、あえてだとすると、そこに仕組まれたものが小さなことのようで実はとても大きなこととして仕掛けられているのかもしれないですね。中島:本当にそうですね。お医者さんはあまりはっきり言わないのだけれども、怖い方の友達の小林の方はもう饒舌で、もうお酒の席でああいうふうな言い方をしたり、思わせぶりなことをお延さんに言ったり、わざとそういうふうにかき回すようなことになっている。その意味でも、お医者さんと放浪に行く小林とではコントラストが生れていますね。朴:両方ともあんまり会いたくない人なのかもしれない。中島:そうですね。朴:二人にとってこの小林の両方が会いたくないかもしれません。蜂飼:あんまり会いたい人がいないですよね、この作品は。中島:源さんの報告を聞いていると、世紀末文学というのは簡単に言うのはなかなか難しいのですけれども、キーワードとしては不安や狂気になりますが、20世紀的に意識を脅かすものといってもいいかと思います。アンドレーエフやそのほかのロシアの作家ということについてですが、アンドレーエフのほかにたとえばドストエフスキーについて何か少しプラスしてお話いただけるでしょうか。源:中島さんにご紹介いただいたその質問の答をさっき考えていたのですが、実はわたしもちょっと小林に引っかかっていました。客観的に見れば、漱石うっかりしてしまったのかなとは思わなくもないのですが。実は質問に答えるというつもりでドストエフスキーについて考えていたときに、漱石は確かに『明暗』を書いている頃にドストエフスキーに興味持って、非常にたくさん読んでいるわけですけれども、漱石は作品の中ではロシア文学について言及はしますし、主人公に語らせたりしますが、あんまり肯定的な語り方をしていないですね。それで、漱石自身はどれほどロシア文学の影響を受けていたのかというのは、作品のテキストそのものからは読みにくいということが、実はあります。けれども、今日、今のお話をうかがっていてちょっと連想したのは、ドストエフスキーというのは、登場人物の名字というか名前で遊ぶのですね。というのは、たとえば『罪と罰』でマルメラードフという人物が出てきます。これはマーマレードという意味から来ていて、つまり甘ちゃんということなのですね。ジェーヴシキンという男が出てくる。これは『貧しき人々』の主人公ですけど、ジェーヴシカという女の子という意味、それから作った名字を付けている。先程たまたまこのメンバーでお昼を食べていたときに、ロシア人の名字の話がでました。ロシア人の名字と452