ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL堀江:「会話の勾配」とは、とても印象に残る表現ですね。勾配は上から見るか下から見るかによって姿を変える。固定された傾斜なら、そうなりますね。また、おなじ方向から見ても、水平面からの距離比が、勾配が変化すれば、体感や視野が変わってくる。漱石は落語の語りをうまく使う人ですが、落語の場合も、人物のやりとりの基本は勾配です。相手の発言の端をもらい、それを踏みながら次に進んで行く。違う言葉を返したり、まったく次元の異なるところから言葉をひっぱってきたりするわけではない。同じ言葉を返して、その先どうなるのか。他人の言葉を半分ぐらい踏まないと、落語の面白さは出てこないわけです。漱石の同時代人がどのくらいの平均速度で喋っていたかが気になります。漱石はとても耳の良い人だったと思います。台詞をぜんぶ自分で考えたというより、市電に乗っているとき、あるいはお風呂屋さんで湯船につかっているときなどに聞いた表現を覚えていて、うまく利用しているのではないか。そういう意味で言うと、『明暗』の会話は不自然ではなく、極めて自然なかたちではないかと思うことがありました。個人的な感触にすぎませんけれど。中島:蜂飼さんは、たとえばこういうふうなテキストはいかがでしょうか。蜂飼:この小説が対話、会話に特徴があるような小説ですが、わたし自身が引いた「百七十六」と「百八十三」は会話部分にカギカッコもあるのですけど、独白的なものにもなっていて、登場人物同士の対話にはなってない。偶然なのですけれども、そういうところを引いたな、というふうに気がつきました。中島:それでこのあと清子と会うと、微妙なやりとりですね。これは本当に。蜂飼:非常にそれこそ勾配がついているような会話になっていて、勾配というより堀江さんが今日繰り返し触れている、探りの入れ合い、応酬という感じで、非常に人間性のいやらしさみたいなものが丸出しになっている部分ですね。でも、だからこそ、読み物としては面白いという箇所になってくると思うのです。どちらも負けたくないというふうなことで、相手の出方を見るような。それこそ探り合いだなあという感じになってくるので、そういう小説が途中で終わっているっていうのが残念なようでもありながら、でも先ほども申しましたように読者としての想像の喜びが与えられているなというふうに思います。中島:ありがとうございました。いろんな会話があってその先に、どうしてこんなことを小林に語らせられるように漱石の作品がなったのでしょうか。漱石の考えがそのまま出ているわけではありませんよね。それはやはり『明暗』が今までの作品の積み重ねで、やはり奥深いところまで行ったというふうに考えていいわけでしょう。朴:わたしはそのつもりで、そういうふうに思って、今日はお話をしました。そういうところがあったのだなと。前は気がつかなかったように思いますし、やっぱり作家も変わりますからね。この後、作品自体としてどうなるのかは分かりませんけれども、やっぱりそういう認識があるということはすごいことだと思っています。中島:いろいろと話題が出てきました。『明暗』を考えるときにやはり不安だとか狂気とかいう言葉が問題になりました。特に不安という言葉は人間の心理の不安と同時に時代の、あるいは日本の不安というふうに捉えることもできるかと思います。そういう言葉と同時に、すごく人間的な、ある意味では嫌な人間関係をより嫌な感じにするような言葉が、やたらに目立ちます。たとえば、軽蔑だとか、差別だとか。そういう言葉もはっきりと出てきますし。こんなに軽蔑とか、そういう言葉が生に出てくる小説はあったろうかなどと思うと、びっくりします。新しい英訳を出されたネイスンさんは、漱石作品はヘンリー・ジェームスと同じようなレベルの一つの文学的達成を持っていると指摘されており、漱石をほかの世界文学と並べて見ていくこともあると思います。もちろんジェーン・オースティンなどとの関係も出てきますね。心理というふうに考えていきながら、少し面白い言葉があります。たとえば人物を描くときに、蜂飼さんが人物の性格とおっしゃるのですが、蜂飼さんは微妙に「この人の人物は」という言い方をなさったりします。つまり、「性格」ということではなくて、その人の「人物」、そういう意味の言葉にも注意したいですね。たとえば「やせ我慢」だとか、こういう「了見」でとか、あるいは、「意地を張って」とか、特徴的な言葉遣いがあります。つまり、「性格」などという近代小説風な形ではない言葉の世界の言葉が、目立つようになってきて、こういう言葉も『明暗』の中にあるわけで、言語の世界の中で様々なものが本当に渦巻いているような感じが456