ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL今、堀江さんがおっしゃったことを聞いていて、もうこの小説のあらゆる要素が集まってくる一点が津田であるということは間違いないですね。がむしゃらに自分の見える範囲を一生懸命生きていて、結局この人物については、何がそんなに嫌な感じを起こさせるのかということが、最後にはフッと消えてしまうような印象も持ちました。あと、これも解決のないことですけど、なんで清子は理由を言わないで去ったのかというのが、紹介者の吉川夫人に対しても悪いのではないかという気がするのです。やっぱりある意味、顔を潰してしまうっていうのは、清子の頭脳を持ってして想像できないわけもないし、あとで余計ゴタゴタが起きるに違いないような踵の返し方をしているので、ちょっとそこが謎なのですよね。ただ、この小説全体の筆致としては、何か清子をとても大切な位置に置いて書いているということは伝わってきますし、面白い人物だなと思います。そして、清子がお嫁に行った先の関さんというのはどんな人なのかなというのが、そういったことを合わせて考えると興味引かれる部分でもあります。わたしはそういうふうにすごく人間ドラマみたいに読んで、その時代背景とか、朴さんがおっしゃったような時代背景とか、ロズランさんがおっしゃっているようなそういう分析的なアプローチでは今回読めていないのですけれども、やっぱり漱石は偉大な作家だなあということをあらためて思いましたし、現代読んでも非常に人間の内面にどの一行も迫るような構成を持った作品を、全身全霊で書き続けた作家だったのだなということを、あらためて再読によって実感できました。とても楽しいひとときをありがとうございました。源:文学研究者らしいことを言うとすると、先ほどから会話ということが問題になっていて、それはカギカッコで括ってあるわけですが、それ以外の地の文というのは語り手の声であるわけですけれども、今回『明暗』を読んでいて、ときどき何箇所かで、こんな勝手なことを語り手がしてしまっていいのかと感ずることもあります。最初は、作品の世界は津田にずっと付き添っていたのですが、痔の手術をしたところは急にお延に付き添っていく。そういうところ、語り手が読者に断るということは普通小説もあっていいのだけれども、そんなこと関係なしにあっち行ったりこっち行ったりで、語り手が急にモノローグをやりだしたり、会話ではない方の語り手の声の方をもうすこし注目してみたいと思いました。それから、最後に個人的なことなのですけれども、朴さんの話を聞いていて、これもぼくうっかりしていたのですが、わたし自身の祖父が『明暗』の時代に台湾にわたっているのですね。それで、わたしの父が台湾で生まれて、親子揃って戦争が終わって引き揚げて、身一つで帰ってきましたから、九州で開拓団へ入って、そこでも土地がもらえずにもともと祖父がいた金沢へ帰ってくるという経歴を踏んでいるのです。そのことに気づいた瞬間に、この小林はわたしの祖父なんだと思いました。それで、その意味、その感覚でもう一回読み直してみないといけないのではないかと思います。今日は特に小林にもう一回注目し直したいという機会に、わたしにとってはなりました。小山:午前中申し上げましたけども、最後の回で津田が偶然じゃないのに偶然だと嘘をつきますね。あそこは一つキーワードになると思うのですけれども、結末どうなるか分かりませんが、そう先ではなかったと思います。たぶん、津田にとって破局が訪れるのだろと思うのですけれども。最後に、漱石がもう一回ポアンカレーの偶然を出すつもりだったのではないか、というふうな気がいたします。彼は温泉場に行くときに3つの可能性を自分で考えるのです。3番目が実に都合が良いのです。自分がバカにならないで、自分の目的が達せられることができないだろうか。それが一番良いって。これは当たり前ですね、誰にとっても。しかし、そうはいきませんよ。結局清子さんが去ったのがどうしてかは分かりませんし、それから自分がお延さんと結婚したのもよく分からないと。「偶然?ポアンカレーのいわゆる複雑の極致」云々っていうようなことを言っていますね。だから、破局が訪れたときも、彼は同じセリフを言うのではないかと思うのです。ずるいから。「偶然」かと。しかし、ポアンカレーの偶然の話のところで説明しましたように、その根底には漱石が大好きなニュートン力学の絶対的決定論という概念が、ベースがあるわけなのです。だから、漱石は「偶然だ」っていうセリフをもう一回津田にはかせて、しかし、それは実は必然なのだということを、どういう表現したかは分かりません458