ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

鄭覲文の古樂復興と琴學―『中國音樂史』を手掛かりに―(61)474語花香之韻事,至於無聲無息之間,不見不聞之地,琴之妙用無不存焉」。鄭覲文『中國音樂史』(同上)による。(19)原文は「是曲在琴譜中爲短調宮音、共九節、五百餘字、句法忽長忽短、有三十餘字一句者、有一二字一句者、頗極抑揚疾徐之妙」。鄭覲文『中國音樂史』(同上)による。(20)『申報』第二〇四二九期(一九三〇年二月十二日)「大同樂會新翻海天樂,定名冰花雪月之章」による。(21)原文は「我國大樂。自古所重。近來消退已極。遂至無人知曉」。鄭覲文『中國音樂史』(同上)による。(22)原文は「北魏美術妙?一時。雖今西樂之最勝場,亦不是過也。乃環顧今日號稱國樂者,相去奚止幾千萬里,衰弱已極,坐使大好,文化任人,侵略不已,言念及此,不禁股爲之慄,而心爲之悸」。鄭覲文『中國音樂史』(同上)による。(23)「胡樂實爲清樂、燕樂之過渡……自龜?五旦七調之法入中國,於是乎,各樂始有系統混合而成燕樂」。鄭覲文『中國音樂史』(同上)による。(24)同時期に編纂された「中國音樂史」の中では、たとえば叶伯和『中國音樂史上』(一九二二年)では、雅樂が失われた理由のひとつに「不重古曲,而重胡樂(古曲を重んじずに外來の曲を重んじたこと)」が擧げられているように、秦漢以來の古曲喪失の歴史として描かれるのみであり、「胡樂」の積極的な機能については考慮されていない。童斐『中樂尋源』(一九二六年)は、そもそも北朝時期の外來音樂について取り扱っていない。王光祈『中國音樂史』(一九三一年)は、中國の音律の進化史記述する際に、北朝期の「蘇祇婆三十五調」を「吾國音樂“胡樂化”」と表現している。(25)原文は「清商萌生於周末,盛於晉。周樂圜鐘爲宮之變體也」。鄭覲文『中國音樂史』(同上)による。(26)「圜鐘爲宮」とは、『宋史』卷一二八「樂志」に「用夾鐘均之七聲,以其宮聲爲始終,是謂圜鐘爲宮。用?鐘均之七聲,以其角聲爲始終,是謂?鐘爲角(夾鐘均に含まれる七聲を用いて、その宮聲(第一音)を旋律の開始音と終止音にすれば、それが「圜鐘爲宮」という調である。黄鐘均に含まれる七聲を用いて、その角聲(第四音)を旋律の開始音と終止音にすれば、それが「黄鐘爲角」という調である。)」とあるように、均の種類と終止音を指定することで音階を定める方法のことである。それが清樂に發展すると、「長調、短調、平調、側調、長清、短清、長側、短側」などの名で呼ばれる音階が成立するとうになった。それぞれの音階は七つの隣り合う音がどのような間隔で竝んでいるかによって異なる。(27)原文は「關於清商之樂器,以當時所産生之偉大樂曲(如廣陵散、胡笳等),當然仍以七弦琴爲主」。鄭覲文『中國音樂史』(同上)による。(28)原文は「魏晉時,琴學大昌,變調繁多,故非多立調子,不足供曲子之用」。鄭覲文『中國音樂史』(同上)による。(29)原文は「其時琴學大昌,大曲巨製日繁……中略……一曲由一曲之特性,即不能不?立專調,以合其宜」。鄭覲文『中國音樂史』(同上)による。(30)原文は「琴學遂獨?千古,更作高山流水等曲傳世」。鄭覲文『中國音樂史』(同上)による。(31)原文は「琵琶初用撥彈,種類亦多。唐貞觀時,裴洛兒始用手,參用琴法,藝益精進,琵琶遂獨?,近古冠國樂之首,與七弦琴竝稱」。鄭覲文『中國音樂史』(同上)による。(32)鄭覲文『中國音樂史』(大同樂會、一九二九年)に「自後一降而爲金元之宮調,再降而爲明清之九宮……文明古國竟蒙無樂之誚(以後時代を下ると金元の宮調となり、さらに下ると明清の九宮となった……文明古國であった中國がついには音樂文化の無い國だという誹りを受けてしまっているのだ)」とある。(33)『申報』第二〇三九三期(一九二九年十二月二十九日)「最大彈絃樂器産生,名七二琵琶」による。(34)『申報』第二〇七六九期(一九三一年一月三十日)「新造全部國樂器完成,共一百六十三種」による。本論文は科研費若手研究(B) 25770138の助成を受けたものである。