ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL475(60)國で優れた音樂作品が書かれたことがあったとしても、それを正確に記録する手段を持たなかったために、後世それを研究することができなくなってしまっているという點に、中國音樂の進化が妨げられた一大原因を定めるという論理である。「什麼是音樂?外國的音樂教育機關,什麼是樂學?中國音樂教育不發達的原因」(初出は一九二〇年五月三十一日に出版された北京大學音樂研究會『音樂雜誌』第一卷第三號)や「中西音樂的比較研究」(初出は一九二〇年一〇月三十一日に出版された北京大學音樂研究會『音樂雜誌』第一卷第八號)などがある。『蕭友梅全集』(二〇〇七年、上海音樂學院出版)を參照した。(3)原文は「以前吾國樂師過度墨守舊法,缺乏進取的精神,所以雖有良器與善法的輸入,亦不願意採用或模倣」。蕭友梅「最近一千年來西樂發展之顯著事實與我國舊樂不振之原因」、音樂藝文社一九三四七月一五日出版『音樂雜誌』第三期に所収、『蕭友梅全集』第一巻「文論專著卷」(上海音樂學院出版社、二〇〇四年一一月)による。(4)原文は「一個是代表中國的封建意識的保守的音樂家群,受政府豢養的學院派,如國立音樂元的蕭友梅等便是他們的代表。他們的工作,是死命制作古典的歌曲,供政府及一些學校採用」。『聶耳傳』(上海音樂出版社、一九九二年)による。初出は伊文「記聶耳」(東京聶耳紀念會『聶耳紀念集』、一九三五年)。(5)原文は「中國古樂最著名的事項,是五聲音階的曲調,樂器當中最有價値的是琴、瑟、笙三種」。『蕭友梅全集』第一巻「文論專著卷」(上海音樂學院出版社、二〇〇四年一一月)による。(6)原文は「惟曲調内容,以用五聲音階為主,表示追想唐代之音樂也」。『蕭友梅全集』第一巻「文論專著卷」(上海音樂學院出版社、二〇〇四年一一月)による。(7)岸辺成雄『唐代音楽の歴史的研究〈続巻〉楽理篇・楽書篇・楽器篇・楽人篇』(和泉書院、二〇〇五年六月)による。(8)原文は「音樂為美術之一種,與文化演進,有密切之關係。世界各國,為增進文化計,無不以科學與美術并重。吾國提倡科學,現已開始,美術則尚未也」。初出は『北京大學日刊』第四八八號(一九一九年十一月十七日)。『蔡元培全集』(中華書局、一九九八年)所收「在北大音樂研究會演説詞」による。(9)蔡元培は、その翌年に『音樂雜誌』が同會によって創刊されるにあたり、「發刊詞」においてさらに明確な指針を示した。すなわち、西洋と同じような進化を目指すのであれば、音樂を物理學、生理學、心理學、美學、社會學、文化史學のような樣々な學術研究の對象として分解し、總合的に研究を進めるべきこと。また、西洋の樂器と樂譜を輸入して中國固有の音樂と比較し、西洋音樂理論を參考として中國音樂で實證することによって、「考其違和(その失調について考える)」という方法論である。(10)原文は「以全世界一切音樂,比較出一至善盡美之樂體,以爲基本,然後方有成立之」。鄭覲文『中國音樂史』(大同樂會、一九二九年)による。(11)榎本泰子『樂人の都・上海近代中國における西洋音樂の受容』(研文出版、一九九八年九月出版)を參照されたい。(12)『琴操』にみえる「天真」については、『荘子』「漁父」に「礼者,世俗之所為也。真者,所以受於天也,自然不可易也。故聖人法天貴真,不拘於俗(礼は世俗の所為である。真は天から授かったものであり、おのずと変えることのできないものである。そのため聖人は天にのっとり真を重んじ、俗に束縛されないのだ)」とあるように、道家的な精神性を表す語である。『琴操』の成立年代については詳しく判明していないが、漢魏六朝期頃に「琴」が儒家的精神性と道家的精神性を併せ持つ形で叙述されていたことと無関係ではないだろう。詳細は拙論「「琴」と「操」--漢代における琴樂思想の観点から」(『早稲田大學大學院文學研究科紀要』第五十六期、二〇一〇年)を参照されたい。(13)原文は「其可貴之原則,即在音域廣、宮調繁、曲體大、指法多」。鄭覲文『中國音樂史』(同上)による。(14)原文は「琴學之精妙,按其指法可知。統計,屬於左手者有五十二種,屬於右手者有五十種,更有古指法五十種……細分之,有四百數十種之多。一法有一法之特點。自古,音樂從未有若此之繁複者」。鄭覲文『中國音樂史』(同上)による。(15)原文は「今之彈琴者往往不顧體裁,遇曲輒以一種手法出之,千篇一律。曲性尚得眞傳乎。其不能入耳也,亦宜矣」。鄭覲文『中國音樂史』(同上)による。(16)原文は「一知半解者,流亂刪古譜,且往往藉口雅淡以欺世,神韻妙趣喪失殆盡」。鄭覲文『中國音樂史』(同上)による。(17)原文は「琴曲意義高深,學者不易得其神髓……琴學之不振,非由於知音之少,乃由於彈琴者之不能盡其長」。鄭覲文『中國音樂史』(同上)による。(18)原文は「陽春、白雪?寫天時,流水、高山形容地理,以及冲鋒陷陣之壯圖,鳥