ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL477(58)られるなど、「胡樂」を中心とした國際色の非常に強い時代であったといえる。さて、上に引用したのは『中國音樂史』で「作眞人歌,修雜伎百戲」の條に加えられた鄭覲文による解説である。ここには北魏の時代のことはわずか八文字で概括されているだけで、殘りはすべて鄭覲文當時のことについての述懷である。中華民國がこのあと、精神文化的に「歐化」の流れを避けがたいことを豫見してか、熱のこもった書きぶりとなっている。このように鄭覲文の『中國音樂史』における敍述は、歴史上のできごとについて論じているようでありながら、自身が身を處している時代について發された言葉が多い。これは、鄭覲文『中國音樂史』が歴史を記す書籍としては客觀性に缺ける部分があると批評されることのひとつの理由となった。そのため、この文獻を歴史學的に解釋するよりむしろ鄭覲文の音樂思想が書き表されたものとして讀み解く方が、資料としての價値があるといえる。ともあれ、鄭覲文の認識にもとづけば、「胡樂」の時代は、前の魏晉期の「清樂」と後の唐代の「燕樂」をつなぐ過渡期として位置づけられる(23)。ここで鄭覲文が各時代の音樂に對して下した評價を見ると、上古から周代までの世界が理想的な状態として捉えられており、そのことについては儒教的禮樂觀に基づくものとして納得できるが、その次に高い評價を與えられているのが唐代の「燕樂」であることは注意されてよい。たとえば燕楽について、「唐之燕樂……中略……合胡漢之精華,別創一體(唐の燕樂は……中略……胡漢の精華を合はせ、別に一體を創る)」というように表現されていることからは、同時期に著された他の「中國音樂史」が胡樂を單に雅樂の存在を脅かす存在と捉えるのとは異なり、新しい時代の音樂を生み出すために必要な刺激であったと捉えていることがわかる(24)。外來音樂に對して積極的な評價を與えているのである。ここで、鄭覲文の示した清樂―胡樂―燕樂という音樂發展のモデルについて確認したい。鄭覲文の記述を整理すれば、清樂(清商音樂)に對する認識は以下のようである。まず、その由來について、「清商は周末に萌生し、晉に盛へたり。周樂の圜鐘を宮と爲すの變體なり」(25)と述べ、それが周代の遺制であることを主張する(26)。他にも、鄭覲文が清樂について言及した部分を見れば、その藝術性の根幹に琴學の存在を想定していたことが知られる。それは、「清商の樂器に關して、當時産生されたる所の偉大なる樂曲を以てすれば(原注:廣陵散胡笳等の如き)、當然仍ほ七弦琴を以て主と爲す」(27)という具體例を見れば、ほぼ間違いないと言えるだろう。この圖式は、「魏晉の時、琴學は大に昌なり。變調は繁多にして、故に多く調子を立つるに非ざれば、曲子の用に供するに足らず」(28)や、「其の時琴學は大に昌なり。大曲巨製日々繁し……中略……一曲は一曲の特性に由り、即ち?に專調を立て、以て其の宜に合はせざる能ず」(29)という記述によって補強されるように、琴學の表現が發達したことにより、それまでの概念が廣げられたことが繰り返し述べられる。琴學の發達によって魏晉期の音樂の性質が釀成されたとする發言は、鄭覲文の音樂史觀を考える上での重要な手掛かりとなる。すなわち、鄭覲文の論理を整理すれば以下のようである。まず、當時の古琴音樂の中には、「胡笳十八拍」や「廣陵散」のように、主人公の感情を盛り込んで物語を展開していくことにより大作として練り上げられるものがあった。そのため、琴曲の中に描かれる感情や物語性を表現する必要が生じ、樣々な調が作り出されるきっかけとなった。内容上の發達については、戰國時代の雍門周、兪伯牙、鍾子期らによって敍情的な表現が始められ、「琴學は遂に千古に獨?たりて、更に高山流水等曲を作りて世に傳ふ」(30)とする。したがって、鄭覲文の音樂史觀の中では、周代から魏晉期にわたる「清樂」の時期は、實質的には琴學の發展が重要な役割を擔っていたということになる。また、以下に見えるように、鄭覲文は魏晉期以降の音樂史においても琴學の影響力があったとする。たとえば唐代の「燕樂」において外來の音樂と中國の音樂が融合した例として、琵琶をあげた際には、琴學との關連性を以下のように述べている。琵琶は初めは撥を用ひて彈じ、種類も亦た多し。唐貞觀の時、裴洛兒は始めて手を用ひ、琴法を參用し、藝は益々精進し、琵琶は遂に近古