ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL479(56)考えられ、鄭覲文の古樂復興と通じるものがある。共通する社會背景の中で、基盤としての音樂觀も自ずから一致しており、そして最終的に目指していた方向性についても重なり合うところが大きかったといえる。三、鄭覲文の琴學蔡元培や蕭友梅の盡力によって上海の地に西洋音樂教育の導入が進められたことについては、すでに先行研究に詳しく論じられているので(11)、本論文では鄭覲文らの事業に光をあてることで、民國初期の音樂文化をめぐる動きを多角的に理解することを目指す。鄭覲文が『中國音樂史』を編纂した目的は、その序文によれば以下のようにまとめられる。まず、歴史を六分割して各時期の音樂の根源を突き止め、中國音樂史に一貫した「系統」を見いだすこと。これはつまり各時期の音樂に優劣をつけることであり、彼の評價は上古から周代までが最も高く、それに次ぐのは唐代の燕樂である。次に、「科學的性質」を持つ西洋音樂に對して、「自然的性質」を持つ中國音樂が劣らないことを證明すること。ここには西洋的近代化が主流となって進んでいた當時の社會變革が多分に反映されている。そして、最終的な目的としてはすなわち、價値のある「國樂」を創造して世界中に廣め、中國固有の文化を復興させ、ひいては「世界音樂」を創造するための材料を提供することである。このように、鄭覲文は世界的な價値を有する音樂を創造するためには、中國音樂の源泉である上古の雅樂に遡る必要があるということを説いた。そして、そのための有效な手段のひとつとして琴學の普及振興を提唱した。鄭覲文は、琴學についてまず「琴爲理性樂器,居最高之品(琴は理性の樂器たりて、最高の品に居る)」というように、精神的な側面から述べる。「理性」の樂器であるというのは、傳蔡?撰『琴操』に「伏羲氏作琴,以脩身理性反天眞也(伏羲氏は琴を作り、以て身を脩め性を理め天の眞に反るなり)」とあるのを典故とする。漢代の徐幹『中論』「治学」に「學也者,所以疏神達思,怡情理性,聖人之上務也(學たる者は、神を疏にして思ひを達せしめ、情を怡しませ性を理むるが所以にして、聖人の上務なり)」とあるように、儒家的禮樂觀にもとづく精神的效用を端的に表す語である(12)。このように、鄭覲文の琴學はいわば上古の時代へと遡るための装置という側面が強かったといえるが、それは精神的な面だけでなく、樂理の面においても同様であった。鄭覲文は、古琴の理論を應用して求められる音律こそが周代以前の音律であると主張した。さらに、音樂の演奏表現に即した側面から、琴學の優れた點を以下のようにいくつか示している。其の貴ぶべきの原則は、即ち音域の廣きこと、宮調の繁きこと、曲體の大いなること、指法の多きことに在り(13)なかでも鄭覲文にとって古琴の最も優れている點は指法の多さにあった。琴學の精妙たることは、其の指法を按ずれば知るべし。統計すれば、左手に屬する者は五十二種有り、右手に屬する者は五十種有り、更に古指法五十種有り……細かく之を分ければ、四百數十種の多き有り。一法に一法の特點有り。古より、音樂に從いま未だ此くの若きの繁複たる者有らず(14)。これらの指法は、琴譜によって嚴格に指定される。第三弦の宮の音を第四弦の宮に變えてはならないし、指の腹を用いるところを爪を用いるように變えてはならないというように、勝手に弦や奏法を指定以外のものへ變更してはならない。また、抑揚、休止、強弱、緩急について詳細でないものはなく、あるべきものはすべてあるというように、指使い以外のテンポや強弱についても琴譜の中に小字注で指定されているものに從う。もしもこれらの指法の機微に注意を拂わなければ、表現の幅が狹まってしまい、どの音を聞いても「平淡無奇」ということになってしまう。鄭覲文の考える近代琴學衰退の理