ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL481(54)したり模倣したりすることを望まなかった(3)。蕭友梅は、中國音樂の發展の遅れをこのように捉えた。逆に、西洋音樂が発展を遂げた理由を、鍵盤樂器や五線譜、そして正式な音樂教育機關の發達に求め、中國音樂も同様の手段を用いれば、やはり同樣の進化を遂げることができるはずであると説いた。ところが、そののち左翼音樂家が登場するようになると、その代表的作家であった聶耳は当時の中國の樂壇を三つの陣営に分けることができるとし、蕭友梅を中心とする國立音樂院の活動は、大衆に接近していない「學院派」として以下のような批判を浴びることとなった。一つは中國の封建意識を代表する保守的な音樂家たちで、政府の養護を受ける學院派であり、國立音樂院の蕭友梅らはその代表である。彼らの仕事は、死に物狂いで古典的な歌曲を作り、政府や学校に提供して採用させている(4)。ここでは特に、少なくとも一九二〇?三〇年代の中國においては最も新しい音樂を推進していたはずの蕭友梅らの活動が、五年もたたないうちに「保守的」であり「古典的」なものとして批判されるようになった點に注目したい。抗日や愛國そして革命の機運が高まっていく状況下において、西洋古典音樂は畢竟知識人階級の音樂として、権威主義のレッテルを貼られることとなった。蕭友梅を中心とした國立音樂院の活動によって、中國音樂の理論や技術のような表層的な部分においてはある種の發達を遂げたといえるだろう。それは確かに、西洋の科學や藝術が中國を席巻し始めた民國初期という時代における、あるいは租界地を中心に列強諸國の世界が持ち込まれた上海という都市における、ある種の成功体験としてセンセーショナルな出来事であったことだろう。ところが、それまで新しかったものが、それほど新しくなくなってしまったときに、本質的な部分は依然として舊いままであったことが炙り出された。このように、封建意識を代表する舊い考え方として、いわばそれまで自身が批判していたはずの中國古典音樂家と同じ型に押し込められてしまった蕭友梅だが、彼についてはまた中國古典音樂に対する理解が十分でなかったという點を指摘しなければならない。蕭友梅は、西洋音樂の新しい方法論――具体的に言えば記譜法、和声學、対位學、樂器學、曲體學を研究しなければ、舊學の整理や改造を行うことはできないと主張したが、そもそも舊樂に明るくなかった可能性が高い。具體的に例をあげれば、蕭友梅が教科書として編纂した『普通樂學』では、第十章「音樂發達的梗概」第一節「古代(紀元八〇〇年以前)」の部分に、「中樂の古樂において最も知られているのは五聲音階の曲調であり、樂器の中で最も價値があるのは琴、瑟、笙の三種である(5)」とだけ記すのみで、詳しい記述は無い。また、「中古時代(紀元八〇〇?一三〇〇年)」、「近古時代(一三〇〇?一七五〇年)」そして「新時代(一七五〇年以降)」に至っては、西洋音樂がいかに進化してきたかを記すのみで、中國音樂については何ひとつ言及されていない。このことは蕭友梅の創作の面にも表れている。たとえば蕭友梅が唐代の「霓裳羽衣舞」をモチーフにして「新霓裳羽衣舞曲」を創作した際には、その序に「曲調の内容は、五聲音階を用いることを主とし、唐代音樂への追想を表した(6)」と述べているように、旋律を五音音階で構成することで古代の感覚を表現しようと試みた。しかしながら、唐代の音樂は「燕樂二十八調」に象徴されるように、実際には胡樂の輸入により様々な音階が發達した時期であった。これについては、本論で述べるように、古典音樂の研究者であった鄭覲文の認識の方が正しくかつ深かったと言える。たとえば岸辺成雄が「中國音樂文化の全四期(引用者注:第一期は太古より両晋まで、第二期は前漢より宋初まで、第三期は宋より清まで、第四期は民國以降)の中でもっとも華やかな時代といえば、言うまでもなくそれは南北朝隋唐の時代すなわち胡樂の輸入と俗樂の發達とによって絢爛たる宮廷および貴族社會の音樂文化を現出した第二期であろう」とするのを見れば(7)、蕭友梅の唐代の音律に対する理