ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

鄭覲文の古樂復興と琴學―『中國音樂史』を手掛かりに―(53)482〇、はじめに清末民初、内憂外患を抱えた中國では、いくつかの政變や啓蒙運動が卷き起こり、樣々な人士がそれぞれの近代中國の實現を目指した。それは音樂の世界でも例外ではなく、西洋音樂を推進する者、古典音樂の復興を目指す者などそれぞれの立場から活動が行われていた。そのうちのひとりである鄭覲文(一八七二?一九三五)は、江南絲竹、琵琶そして古琴などに通じた演奏家で、民族音樂樂團「大同樂會」を組織し、樣々な古典樂器の保存・改造や古典樂曲の研究・改變などを通して、民國初期における中國民族音樂の發展に寄與した人物として知られる。鄭覲文は、同時代に上海で活躍した實業家であり琴學振興にも熱心であった周慶雲の資本援助を得て、一九二九年に『中國音樂史』を出版した。これは中國における音樂史編纂の先驅けであると評價されることもある一方で、敍述の客觀性にかける部分が多いともされ(1)、これまで十分評価されてこなかった。しかしながら、この書物からは、鄭覲文が生涯を通じて傾注した中國古樂復興事業の本質に琴學が深く關わっていたことが讀み取れるため、近代中國琴學を理解するための材料として扱うことができる。本論文では、このような觀點にもとづき、鄭覲文の『中國音樂史』の特に琴學に關する記述を手掛かりとして、古樂復興に對する鄭覲文の理論と實踐についての考察を行う。一、國樂改良のことまず、このころの音樂をめぐる?況に觸れる際には、蕭友梅の名を舉げないわけにはいかない。蕭友梅は、一九〇六年に廣東省公費留學生として、東京帝國大學文科で教育學を專攻し、一九一二年にはドイツのライプツィヒ大學で教育學を學ぶ一方で、ライプツィヒ音樂院の理論作曲科に入學した。そこでは「關於十七世紀前中國管弦樂隊的?史性探索(十七世紀以前の中國管弦樂隊についての歴史的考察)」を著して博士學位を取得し、一九二〇年に歸國した直後に蔡元培の招きを受け、北京大學哲學部講師および音樂研究會講師の任についた。その蕭友梅がまっさきに實踐したのは、音樂研究會および音樂傳習所での西洋音樂理論の講習、付屬管弦樂隊の指揮、そして「國民音樂會」と呼ばれるコンサートの主催である。こうした西洋音樂の教育普及活動が實を結び、一九二七年十一月には上海に中國初の音樂專門教育機關として國立音樂院(現在の上海音樂學院)が設立されるに至った。蕭友梅は、音樂教授法、樂譜そして樂器などの比較を通して、西洋音樂の優れている點と中國音樂の劣っている點を繰り返し論じた(2)。一貫して西洋音楽の優位性を説いた蕭友梅は、中國音樂が抱えていた問題を以下のように指摘した。我が國の音樂家は舊法を墨守すること甚だしく、進取の精神に缺けていたため、良い樂器と方法を輸入したのにもかかわらず、それを採用鄭覲文の古樂復興と琴學──『中國音樂史』を手掛かりに──石井理WASEDA RILAS JOURNAL NO. 3 (2015. 10)Abstract