ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL(50)485きは右手にあったものが左手に近づいてくることもある。夕陽の注ぎ始める海で、光と潮風と匂い、景色と色彩とが人の主観を充満させる。そのときに「放心」は起こっているのだ。船が帰港しかかるとき、「帰るべき埠頭が/しだいに近づいてくるのが信じられない」、と言うよりも「放心」から「内閉」の自己へと帰るのが嫌で、信じたくない気持ちになるのも自然なことだ。そこでは人間の自我の内への集中は一旦停止させられ、「外部との接触」が充満する。海は個々人の小さな自我の形をなくさせる、拡散する不定の場所である。港は不定の海と人とが共存する汀であり、観念と自然との、個とより大きなものとの、臨界として在る。臨界で凝固しがちな精神はゆるめられ、つかのま不定のニュートラル状態でただようことを許されるのだ)4(。そして港はがんらい共同の場所、英語で言うところのcommonなのである。公園も埠頭も誰のものでもない。歴史の堆積とともに個人を包摂する、個を越えた大きな場である。「たくさんの見物人といっしょに」QE2の出航を見て「ぼくも公園の林のほうへ引き返した」(97)と語られる「30」が示すのは、自らもone of themになって放心することの歓びであり、彼のコンラッドについての物思いは彼一人のものであっても、その思考も港という共同存在があればこそ生まれる。「17」において、店の遠い奥にいてたどり着けない船具屋の店主について「しかし船具屋のおやじは/はるか遠いところでたしかに存在している/通行人はみんなそれを知っている」(58)と言われるとき、港町の通行人の「みんな」が共通に知っているということだけでなく、「通行人」の一人である詩人自身の、「船具屋のおやじ」がそこに共に存在している事実の認識が問題なのだ。「船具屋のおやじ」がそこに共存していることは意味を越えている。港は個よりも大きいだけでなく、意味よりも大きいのだ。そのトポスに触れている感覚が詩集全体に瀰漫していることで、『港の人』は特別にゆたかな詩集になっている。ここで我々は最後に「港の必要性」という観点に逢着する。悩みを持ち鬱に陥りがちな孤独な個人は、自力ではそれを忘れて生きることができない。観念の垂直な行使によってはそれは癒されない。自己の共存在の在り方、自己を超えた場=トポス、港という境界域で少し自己を遊ばせることによって、鬱は完治しないままで、苦悩を背負いながら、個は生の一日を、あしたも同じ色であることを望みつつ、生きのびることができる。それは北村の別の詩集に収められた詩のタイトルの言葉を使えば、factualであるとともにactualな性格を持つ生の在りようである。逆に言えば、「港」の語で示されるような場が津波や原発事故で破壊されたとき、人は行き場をうしなって、袋小路のような隘路に追いやられるだろう。唐突な物言いに聞こえるだろうが、私には自然に繋がる発想である。観念(意味)は文明や国家を批判するために依然として必要だが、それだけではすまない。「港」が在ること、人が「港の人」になることが、現代の我々にとっても意味深い所以である。※注(1)岩佐なをの「ヨコハマにて」はこの配列の意味について考察している。(2)北村太郎については数多のエッセイ・批評があり、『港の人』に特化した批評も幾つか存在しており、もちろん学ぶべき点が多々ある。(多くが『北村太郎の全詩篇』の別冊『詩人北村太郎』の巻末に「参考文献」として掲げられている。)しかし『港の人』に絞った本論の具体的な論点および論証にとって、避けて通れないと考えられる指摘は見出せなかったため、本文で言及をしていない。不遜な態度に見えるとしたらご容赦願いたい。(3)横木徳久は「他界への一瞥」で田村と北村の詩を断言の有無という点で比較している。(4)私の言う意味とは違うが、稲川方人はエッセイ「距離なき『臨界』を歩く人」で北村を「この世の『臨界』を歩く人」だと述べている。※引用文献(ページ数は本文中の丸かっこ内にアラビア数字で示した)北村太郎、『港の人』(思潮社、一九八八年)――――、『詩へ詩から』(小沢書店、一九八五年)――――、『うたの言葉』(小沢書店、一九八六年)――――、『すてきな人生』(思潮社、一九九三年)