ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

(47)『港の人』は何をしているのか―北村太郎の表現488きょうは平穏な一日だった窓のそとがうす暗くなるまで雨がふりつづき風がないのに夜なかにかけてゆっくりやんでいった(108)というふうに「一日」が振り返られるとき、この感覚は無論死を自覚した分だけ詩人の身に堪えるものとして感じられるにせよ、様々な暮らしを営む読者みなの腑に落ちるところを突いている。『港の人』には一日あるいはその一部分の時間の経過に触れたものが多い。「29」では「坂道を/影がころがっていってから/音が絶えた/どの家も雨戸を立ておわってしまっていて/夕日は/とりかえしがつかない思いを/遠い橋にだけ/ごく短かいあいだ投げかけていた」(91-92)、「21」では「きょうは一日/風がつよく吹いて/しかも/ひっきりなしに向きが変わり」(77-78)、「13」では「日なたにいても影ができない一日が終わりかけていて/木陰でみんな息をひそめている」(43)など、一日を単位として「平穏」と名づけられる時間に何があるのかを北村は見つめている。そうした思考の極めつけは「4」の詩で、「都市」の明快な形態について語り始められ、「物には/ひとつひとつふさわしい名がつけられ/暗渠は整然と流れ/そして/一生は一日として/ありつづける」(20)と記される。「都市」のようなマクロな視点から見るなら人の「一生」は何事もなしで、まるで「一日」のように過ぎる、と読むことができる。後半この詩は逆のヴェクトルに転ずる。「鉄道から/じゅうぶんな信号が発せられ/不在を確認してベルが切れる寸前にすこし感情をしめす電話は/光のおわりを告げようとするが/一日は/一生として/まもなく/まったく同じあすを夢みるだけである」(21)。電話のベルの切れ際の音の描写が、読者の関心を一気にミクロな個々人の不安に満ちた時間感覚に引き戻す。「一生は一日として」を倒置した「一日は/一生として」という表現はロジック操作の機知に富んだ遊びではない。個人の生存に関わってみれば、一日が「一生」のように長いことがあるからだ。一日が「一生」としてあると、そう感じられる場合があるにもかかわらず、都市に生きる者(「港の人」)ぜんたいとして見れば、或いは個人が自分の生をマクロな視野から離れて見れば、「まったく同じあすを夢みるだけ」だと認識される。この詩における時間の運動は一日が一日でもあり一生でもあるように、長くも短くもあるように振れるさまである。それは、おそらく生活する誰にとっても、一日が平穏に過ぎるということの在り方を言い当てている。一日が一生であり一生が一日であるように、また速いものは遅いものであるように、『港の人』の言葉は周到な文体を練りあげている。たとえば横浜の港内一周遊覧船に乗って、夕暮れ帰港するときの経験を書いた「25船上にて」はその最上の例である。冒頭「だれも見ていないから/心配することはない/と/いう思いをたいせつにして/はたしてなにをしないできたか」(80)と綴られるが、論理的な自然さから言えばここは「はたしてなにをしてきたか」でなければならないだろう。続く三行、「日の暮れは/残すべからざるものを残さず/叫び声を薄明かりのとどろきで聞こえなくしないようにしようとしない」(81)で更にこの技巧は加速する。自然さを優先すればもちろん「叫び声を薄明かりのとどろきで聞こえなくはさせない」とでもなるところだろう。「聞こえなくしないように」は「聞こえなくするように」の逆転表現であり、「しようとしないようにしようとしない」は論理の過剰な畳み掛けで読者の読む速度を遅くさせ、立ち止まらせる。この詩の最後の四行は「帰るべき埠頭が/しだいに近づいてくるのが信じられない/見えるものが/見えなくなるよりないほど遠くになっていかないとは!」(81)である。船は港に帰るのだから埠頭が近づくのは当然でそれが「信じられない」というのは、船上にいる北村の身体における固定と移動の感覚のミスマッチのあらわれであり、帰らずに船に乗ったまま流れていきたい心持ちの反映でもあろう。ここでも自然さに就けば「見えるものが/見えてくるように近づいてくるとは!」とでもなり、手のこんだ引っくり返しがなされている。この意図的に仕組まれたねじれたシンタックスの考案は、北村にとって実験であったろうが、現象世界の相対的な性質を文体そのものによって言い当てて