ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL(44)491入れることに読者の注意を向けないように、言葉を水平に動かしているのである。詩全体の要になるのは最終行の最後にある「、か」の二字である。ここでは「老いのみ老いて墓知らぬ」という文語体は意図的に文語として使用され、「、か」で受けることでその文語のトーンそのものを文脈から浮かせて遊んでいる。逆に読者の感覚に残るものは、若い女性の手紙の「いつまでも不良少年でいてください!」のエクスクラメーション・マークと呼応し合い響き合う、地の文の口語性である。この詩は詩集全体の中で最もゆるい詩のように読まれそうだが、実は北村太郎にしか書けない、老いた自分の相対化であり、読者の微笑をさそう自嘲になっている。ここには観念の影がない。詩行が垂直に切れ目を持つことを徹底して避け、あくまでも水平な動きを、具体的な言葉の運動として、実現しようとしている)3(。こうした水平性は『港の人』全般の特徴である。平仮名の使い方で言えば、たとえば「15」の末尾の三行、「ドライ・ドックにあたしははいる/あたしあしたは/骨だらけ」(51)では、「あたしははいる」と「あたしあしたは」のように平仮名であることが軽い目の錯覚を導くように仕組まれている。同様の効果は「20」の末尾「きっと動詞のほうがおまえをおもいつく」(67)の「おまえ」「おもいつく」の並び方にもあらわれている。「人間」が「にんげん」になったり(「3」、「12」)、「必要」が「ひつよう」になったり(「20」)、通常漢字で使用されるべき単語を平仮名で開くことも多用されている。すべての言葉を平仮名にする詩は谷川俊太郎や池井昌樹らに見られるが、そこではかえって〈平仮名にすること〉それ自体の、あえて言えば実験性というか、内容から切り離された方法の独立性が一種の読み難さとともに際立ってしまう。『港の人』では言葉の形に敏感な読み手以外には仮名遣いの手入れの仕方に気がつかれないようになっている。言葉を水平にすっと流れて行かせるためである。口語の響きについて言えば、北村自身晩年に「魚屋のおやじさんと客とのやりとり、喫茶店で隣に居合わせた数人の娘さんたちの会話――ようするに生きのいいことばの交換だが、それらに耳を澄ませて、わたくしはずいぶん勉強させてもらってもいる。自分の詩や文章に採り入れた言いまわしがいくらかあるくらいだ」(『すてきな人生』、119)と書いていて、『港の人』の地の声の中に市井の人びとの声が残響している可能性は高い。また『港の人』執筆の少し前に取り組んだ『ふしぎの国のアリス』の翻訳において、北村は自覚的に(きわめて過激な)口語的スタイルを試みていて、その実験が詩の言葉に影響を及ぼしている可能性もある。「20」における「パジャマのボタンをいじってる」(65)、「こんど思い出すとしても死ぬときにきまってる」(66)、「コケみたいな緑いろになってる」(66)、「どんなに悩んでたって鳥の声はいつもとおんなじだ」(67)といった文体は、同世代の詩人たちには聴き取られない響きだった。水平性の印象を醸し出す『港の人』の詩形・スタイルの特色として、一篇の詩の終わり方にも注目しなければならない。それはしばしば本来閉じるべきセンテンスを閉じないままに終わる。たとえば「2」の最後の連、「「あらぬこと」/いずれは/思いえがくこともなくなって/虫の息だけが」(15)、「9」の「ゆうべ見た夢も/絵でなくて/ことばで帰ってこようとして」(34)、「10」の「立ったまま/食べつづける/膜をくちびるで剥がして」(37)、「24」の「ひとり八階の喫茶店にはいり/ほくそえむ/つちけ色になって」(79)といった詩の結び方が示しているのは、北村が自覚的に詩の完結性をほどき、ゆるめている事実である。実のところこうした文体のレベルではなく、トピックの選び方や締め括りの余韻の持たせ方のような、ブロック状の配慮の方に、より詩の〈閉じなさ〉はあらわれている。たとえば「5」において、冬の午後に山下公園を散歩して「ほんとうにカモの脚みたいな葉っぱが/広い歩道にたくさん落ちていた/そのうえを歩くと/この世でないみたいなたよりない心持ちがする」と記されたあと、それに続く末尾の五行に、詩の水平性はきわまっている。いい天気でためいきも出そうにない向こうから助けてくれそうな人が