ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL(42)493なそうとしている。感覚=感情をロジックなしに立たせると言うよりも、ロジックとの緊張を保ちつつそれを退隠する影のように、或いは残る灰の匂いのように、感覚によって包摂してしまおうとする営みだと言っていい。観念の重さ・重要性を自覚すればこそ、つまり世界の意味を突き詰めて考える意義を弁えればこそ、その網の目にとらわれないように、感覚・感情の次元において主題を提示しようとする詩人の姿勢が見えてくる。2.水平性「荒地」派の詩人たちにとって、観念は避けがたい厄介なものだった。それは彼らの詩が観念的だったとか、ストレートに観念を詩の中心に据えるとかということではない。むしろ第二次世界大戦における日本の軍部、マスコミ、知識人らによる観念操作の無根拠な危険を、体に染みる傷のように認識していたために、観念の集団的な介在に警戒し、常に個人としていかに抒情を発するかが、彼らの共通の課題であったとさえ言える。(それぞれの差異については本論では扱わない。)だがそれは観念を無化することではなく、むしろ日本の近代化、世界史的な文脈など、歴史の大きなうねりの只中に自己の位置を定位しつつ、観念と言葉の表現との、ねじれまた衝突するような入り組んだ関係を、誠実に担って生きることだった。観念との関係という点で『港の人』との対比を試みるべき格好の相手になる詩集は、一九八四年刊行の田村隆一の『奴隷の歓び』である。その理由は、『港の人』も『奴隷の歓び』もともに作者が自己の老いの自覚を意識的に表出し始めた詩集であること、いずれも雑誌連載時からある種の連作として意識的にコンセプトを統一して書かれていること(『奴隷の歓び』は「文藝」に連載された)、二人とも詩人としての出発が「荒地」同人であったこと、そして何よりも二者の言葉の相貌がきわめて対照的であることによる。老いとは言っても田村はこの連作を書き継いだ頃六十歳になったばかりであり、北村は『港の人』当時六十五歳であったが若い恋人と交際をしていて、二人とも真の意味で「老人」と名乗るべき状態ではなかった。むしろ生きる欲求の自覚に比して年齢が自らに老いをその分強く認めさせたがゆえに、詩において老いが主題化されることになったと言う方が当たっている。ここで私が取り出したいのは、詩の言葉の水平性‐垂直性のあざといほどの対比である。田村の連作の最初の詩「物」はまず有用な道具でなければならない生物的人間ではあるが政治的人間経済的人間観念的人間ではない(6)と始まる。これは奴隷の在り方を指すものだが、この詩集において奴隷とはまず誰よりも詩人自身の自己像として在る。「政治的」「経済的」「観念的」ではない、と駄目を押すとき、問題になっているのは「政治的」や「経済的」というカテゴリーによる思考が「観念的」なのだということだ。『奴隷の歓び』において田村は意図的に〈反・観念〉の立場に立っており、それをあらわす一語が「物」だった。そうした意味内容だけでなく、縦組みで引用部分を見た瞬間に感じられる詩行の形の緊密な垂直性があり、断言調の言葉遣いが響かせる垂直性がある。詩「老奴隷の舟唄」で田村は、「王の死も/乞食の死も/まったく変りがない/と/どこかの詩人が歌ったが/そんなことがあるものか/問題は/死と死の間のつかのまの/生の在り方じゃないか/その生の大きさで/死の大きさも変ってくる」(50-51)と書く。田村が「大きな死」の例に挙げるのは「清教徒革命で首をはねられた」「イングランドのチャールズ一世」であり、「そこへゆくと/おれなんざ小さな生さえなかったから/小さな死だってあるものか/生殖器だって形だけついていて/放尿するのが精一杯/荷物がかつげないから舟を漕ぎ/漕ぐといっても川の流れにまかせるままで」(54)と自嘲する。田村の言うような歴史的な生の大きさはほとんど常に男性主体によって担われた以上、田村の「大きい」という判断はマスキュリンなものである。ここで田村は架空の「老奴隷」の役を演