ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

(41)『港の人』は何をしているのか―北村太郎の表現494感情を、「もの」ではなく「こと」として伝えることの方が『港の人』の主題なのである。「たよりない心持ち」は単に不安や恐怖ではない。「からだが/浮きあがるような感じ」の二行で始まる「23」の末尾は、この感覚について、「求めないでも/それがやってくるときは/大人でもとっても怖くてがたがた震えるものがおり/かれらは/宙に浮きながら/おれの存在それじたい、犯罪であるにちがいない、とぶつぶついう」(75-76)と記されて終わっており、この感覚は確かに「怖さ」、恐怖でもある。しかし同時にこの直前の部分で「子どもは怖がるけれど/大人は/それを求めるようになる/子どもにとっての恐怖が/大人にとっては/願望や快楽になる」(75)とも言われていて、つまり「たよりない心持ち」とは避けたいだけのものでなく、死との戯れとして一種の倒錯した歓びでもあり、究極的には〈自由〉のしるしなのである。『港の人』という詩集が不思議なほど愉楽に満ちているのは、死という最高度に重い主題の重さの分だけ言葉の扱い方においては軽さが目論まれているからでもあるが、それ以上にこの中間・宙吊りの猶予の時間の生それ自体が、個人の生きる自由を現象させるものだからだ。「がたがた震えるものがおり」に現れる「震え」は『港の人』に頻出する感覚表現の代表である。「8」の冒頭が「窓が震えている」(28)で開始されること、「15」の汚れた中型貨物船の「波にゆらゆらしているだけだった」(50)様子、「27」の、風にすばやく震えているクスノキの葉の動きから始まる「かすかなちりちりした震えの時」(87)、それらは外界の震えであるとともに、それに相関する内面の感覚の表現でもある。もう一つ詩集全体で重要な感覚表現は、後述するように「におい」である。「29」において、これから「底なし」になっていく夜に「ふいに錆がにおい/だれもいないのにセーターがにおう」(93)という箇所の死(「錆」)と生(「セーター」)の「におい」の並列を、いまはその一例として挙げておこう。それは『港の人』において、観念=意味の縛りをほどき、緩くさせる機能を担っている。現象、時間と空間を、色彩や音とみなそうとする「22」において詩人がかりそめにやろうとするのは、人の生をグラデーションの変化の次元に変換する試みなのだが、後半で北村は色彩と時間、音と空間は「耐えがたい関係にしかありえなくて//においだけが灰に残っている」(73)と述べる。嗅覚(におい)は視覚(色)と聴覚(音)よりも現実の現象の形跡を強く留めるものだとされていることになるが、要点はそうした感覚が、人が生や世界(社会)に付与する観念作用による意味を、相対化することにある。詩集劈頭に置かれた「1」はこの点で『港の人』全体がしようとすることの一種の宣言めかない宣言になっている。「暑い朝/たくさんの観念が/鼠いろになって目の前を通りすぎていく/それらは/とっても淋しい響きを残すわけでもないのに/音の幻としては/いつまでもうつ向いていたいくらいの/囁きである/色としては/濃淡がなさすぎて/もうすこしで/影になりそうに思える」(10-11)と始まるこの詩は、第二連で恋人との性行為ともとれるような会話の一部を導いたあと、第三連「観念は/別れを惜しみつつ/この世ならぬ/音と色とを考えないわけにはいかず/ツタの這う窓べに」(12)によって終結する。つまり『港の人』の世界では「観念」は退隠しかかっている。退いて消えかかりながら、感覚領域にある「音と色」(や「におい」)が「この世ならぬ」もの、ありのままの現実を越えた何かになることを期待している。それは「観念」のないものねだりであるとも言えて、「観念」を率直素直に信用できないとしても(「大きな物語」は信頼できないとしても)、去り際・消え際の「観念」はいまだに北村太郎から去ってはいない。むしろ「観念」の世界の重みを身に担いながら、それとの緊張関係において感覚が重視されているということなのだ。一九八一年の『悪の花』では文明批判的な痛罵、観念を素直に信じて理屈を言う者たちへの激しい嫌悪を通じて、北村はかえって〈反・観念〉として裏返しに観念に引きずられていたとも言えるのだが、自らの病の宣告後に、いっそう観念的なふるまいを無効化ないしは空無化する方向に進んでいった。それは認識が意味として結晶化する一歩手前の感覚にとどまろうとすることである。死の直前の時期といってもいい頃の、詩人正津勉相手の聞き書き・語り下ろしのテクスト『センチメンタルジャーニー』で自己を「センチメンタリスト」と呼び、「センチメンタリストというのは感覚的な人間であるということです」(174)と語っていた北村は、『港の人』においてideaないしはconceptual thinkingの論理を軽くい