ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

(39)『港の人』は何をしているのか―北村太郎の表現496『港の人』は北村太郎が一九八八年に思潮社から刊行した十一番目の詩集であり、同年度の読売文学賞を受賞した。前年の一九八七年に悪性の血液病である多発性骨髄腫に罹っていることが判明しており、つまり『港の人』は、病状を自覚して自らの死の可能性に直面したあとの北村の、初めての詩作を収めていることになる。「1」から「33」までの番号の付された連作詩集であり、主として雑誌「現代詩手帖」に同題のもとに集中的に書かれた連載詩群を中心に、その他の詩を含めて、雑誌掲載時とは配列を異にしてあらためて附番し直した形で纏められた)1(。北村はこの後九一年に詩集『路上の影』を出し、九二年に亡くなる。北村太郎の仕事の中でも、一九八一年刊行の『悪の花』と並んで、執筆当初から詩群のタイトルを決めて連作として書かれたという意味で、『港の人』は特別な位置を占めるが、一冊の詩集として見た場合、それが北村太郎の特別な到達点を示しているのは確かだ。私がこの詩集を単独で取り上げる理由として、自己の病と当時交際のあった歳の離れた女性との関係、つまり死とエロスの両極に揺れて、当時まで七、八年の間住み続けていた横浜の街の「港」としての象徴的なトポスにおける〈さまよい〉を、全体として提示していること、それまで修練してきた、口語表現をまじえたある種の軽みのある詩形が突出していること、これら二点をとりあえず挙げておこう)2(。戦後「荒地」派として世に知られ始めた鮎川信夫、田村隆一、中桐雅夫、黒田三郎、三好豊一郎らの詩人たちのグループの中でも、北村の進んだ道は独自で、彼らの多くが第二次世界大戦の敗戦から冷戦期に日本がアメリカ合衆国の傘下におさまり経済発展に邁進してゆく時代に詩人として最も輝いていたのに反して、むしろ一九七〇年代半ばの田村隆一夫人との不倫同棲と二十五年勤めた朝日新聞社退社以降、すなわち七〇年代終盤から亡くなるまでの時期にこそ、他の追従を許さない独自の詩によって高い評価を得た。「戦後」がまだ「モダン」な時代、リオタール言うところの近代の「大きな物語」の時代だったとすれば、北村の詩はグローバルな資本主義の隆盛と世界情勢の混沌化の「ポスト・モダン」の時代(オイルショックとイラン革命のあとの時代)に、流行に乗るというのとは根本的に別種の、言葉の力を発揮し得たと言うことができる。田村隆一もまたこの時期にめざましい活躍をしたが、いずれ本論で示すとおり、彼の言葉は「モダン」な垂直性に貫かれていて、北村の水平な言葉の働き方とはきわめて対照的だった。北村太郎の表現の特色はどこにあるのだろうか。『港の人』という一冊の詩集で詩人がしていることは何か、そして読者にとって、この詩集は全体として何をしていると読むことができるのだろうか。現代の視点から見たとき、この設問は思いのほか我々を遠くまで連れてゆくだろう。1.主題『港の人』全体の主題を述べることはそれほど難しいことではない。たとえば実際のテクストから引けば、「5」において冬の午後に「やました公園」『港の人』は何をしているのか――北村太郎の表現堀内正規WASEDA RILAS JOURNAL NO. 3 (2015. 10)Abstract