ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

『葵巻古注』と『水原抄』の関係―鎌倉時代の『源氏物語』古注釈の利用―(35)500さらに、『葵巻古注』の注釈の中に引用された『源氏物語』本文に異同がみられるという問題もある。もし、『葵巻古注』が『水原抄』そのものだとしたら、このような異同は起こらなかったと考えられる。これらのさまざまな点をふまえてまとめるならば、『葵巻古注』が『水原抄』そのものに相当するとは到底考えられないのである。あえて推測を重ねるならば、『水原抄』をベースにして、そこから適宜取捨選択された注釈を『源氏物語』本文に添えていったものと考えられよう。最後に、『葵巻古注』の利用者については、池田氏の論文にも一例として想定されていたように、誰か高い地位の人物に献上するために作られたと推測した。鎌倉時代の『源氏物語』古注釈においても、室町期以降と同様に、学者が利用するための本と、献上される本というように、利用目的が異なるものが併存していたものと推測するのである。注(1)池田亀鑑「水原抄は果たして佚書か」『文学』第一巻第七号、一九三三年十月。池田論文では『葵巻古注』の前半に相当する七海本だけが扱われた。後半部の吉田本はまだ発見されていなかったのである。なお当初から、『葵巻古注』は「源氏物語古注」と呼ばれてきた。伊井春樹編『源氏物語注釈書・享受史事典』(東京堂出版、二〇〇一年)も「源氏物語古注」として立項している。寺本直彦「『水原抄』と『原中最秘抄』との関係―源氏物語古註葵巻の考察の選定として」(『源氏物語論考・古注釈・受容』風間書房、一九八九年、初出は一九八五年)で、初めてこの本が『葵巻古注』と呼ばれるようになった。「源氏物語古注」と呼ばれる注釈書は他にもあって、たとえば右の『源氏物語注釈書・享受史事典』では計四種が並ぶ。紛らわしさを回避するため、本稿では、寺本論文に倣って『葵巻古注』の呼称を用いる。(2)重松信弘「七海兵吉氏所蔵葵巻」『源氏物語研究史』刀江書院、一九四五年(3)寺本直彦、注(1)論文(4)田坂憲二『源氏物語享受史論考』の第三章「水原抄」風間書房、二〇〇九年(5)伊井春樹編『源氏物語注釈書・享受史事典』東京堂出版、二〇〇一年(6)カラーヌワット・タリン「『葵巻古注』(七海本・吉田本)の注記―鎌倉時代の『源氏物語』古注釈との比較から―」『平安朝文学研究』復刊第二十一号、二〇一三年三月(7)池田亀鑑、注(1)論文(8)巻子本形式をとる『源氏物語』古注釈としては、他に南北朝時代の書写と推定されている伝浄弁筆『源氏物語古注』(「若紫」巻〈東京国立博物館蔵本〉ならびに「末摘花」巻〈慶應義塾図書館蔵本〉)があるものの、川上新一郎「伝浄弁筆源氏物語古注翻刻と略解」(『斯道文庫論集』第四十輯、二〇〇六年二月)が明らかにしてるいるとおり、両本とも「冊子改装」、すなわち元の冊子本から巻子本に改装されたものである。(9)松田武夫「源氏物語古註解題」(紫式部学会編『源氏物語研究と資料―古代文学論叢第一輯―』武蔵野書院、一九六九年)(10)『葵巻古注』の七海本の複製本(一九三五年一一月、古文学秘籍複製会から刊行された)によって確認すると、ほとんどの注釈は三~四行にまとめられている。それより長い内容もあったが(最大で八行程度)、その項目数はせいぜい五項目程度である。(11)池田亀鑑、注(1)論文で「この古写本は、上述のやうに、あらゆる点から考へて、『水原抄』の性質と形態とを完全に具えてゐると云ふことが出来る」と述べている。(12)重松信弘、注(2)論文(13)寺本直彦、注(3)論文(14)田坂憲二、注(4)論文(15)池田亀鑑、注(1)論文では「筆者は河海抄さへもその秘本は巻子本であつたと信じてゐる」と述べる。(16)池田亀鑑、注(1)論文(17)新美哲彦「『光源氏物語抄』から『河海抄』へ―注の継承と流通―」『文学・語学』一八六巻、二〇〇七年三月(18)『光源氏物語抄』の伝本はノートルダム清心女子大学本と書陵部本があるのだが、両本の字や仮名遣いが完全に一致するように書写されているので、これら二つの伝本を一種類ととらえておく。なお、書陵部本の第一帖は関東大震災により焼失され、四帖が残っている。(19)池田亀鑑、注(1)論文