ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

『葵巻古注』と『水原抄』の関係―鎌倉時代の『源氏物語』古注釈の利用―(33)502氏物語』の本文が写され、次いで適宜簡略化された注釈を添えられたものだと推定するのである。これらの本文異同の例以外に、もう一つ、とても興味深い項目がある。それは、注釈が河内本『源氏物語』に対するものではなく、定家本(青表紙本)の本文に対する項目となっている例である。ニ、『葵巻古注』353、『源氏物語大成』(304-12)…かゝるよはひのすゑにわかくこよ或証本如此もこよふ事トハさかりのこにおくれたてまつりてもまとふ事とモコヨツフ透?日本紀うちなきたまふをこゝらの人かなしくみたてまつる…モコヨフ蟲紵同この本文からみられるように、『葵巻古注』の本文は「たてまつりてもまとふ事と」であり、「まと」の隣に「こよ」と傍記されている。さらに、頭注をみると、「もこよふ」についての短い注釈がある。『源氏物語大成』や『河内本源氏物語校異集成』を確認すると、この本文は次のような異同がある。・『源氏物語大成』(304-12)【河】もこよふ―まとふ河【別】もこよふことゝ―ことうことゝ御―まかよふと陽・加藤洋介編『河内本源氏物語校異集成』風間書房、二〇〇一年たてまつりて―たてまつりても〔墨〕尾―たてまつりても海(七海本)もこよふ―まとふ河―まと(こよ)ふ海河内本『源氏物語』の本文は、いずれも「まとふ」であり、「もこよふ」ではない。従って、『葵巻古注』のこの頭注は定家本の本文に対する注釈である。もし、『葵巻古注』に傍記の「こよ」が書かれなければ、この頭注は意味をなさないのである。それゆえ、『葵巻古注』には小さい文字「こよ」があって、「或証本如此」が記されているかもしれない。この例は『水原抄』の問題には直接関わらないようにもみえるだろうが、『葵巻古注』という一種の河内本『源氏物語』の中に定家本系統の本文に対する注記が記されているという特異性ゆえにとりあげてみた。果たしてこのような注記が本来の『水原抄』に含まれていたとみることは可能なのだろうか。即断はしがたいが、可能性としては、『葵巻古注』の作成される段階で定家本系統の情報が転記されたということもありうるのではないか。四、『葵巻古注』の利用者の想定『葵巻古注』が『水原抄』そのものではないとするならば、両者はその体裁、注釈のあげ方と分量などから察して、利用の仕方が異なっているのではないか。ということはそれぞれにふさわしい利用者が想定されていることになろう。以下、『水原抄』と『葵巻古注』の利用のされ方、ならびに具体的な利用者について想定してみたい。『水原抄』は河内方の注釈書であり、既に指摘されているように、大部の注釈書だったことがわかっている。その分量は『光源氏物語抄』、『紫明抄』、そして『河海抄』のような同時代もしくは比較的近い時代のものと比較してみると、はるかに多いと推測する。そのような分量の多い注釈書は巻子本にするとしたら、どれだけ手間がかかるかわからない。活用も検索もしにくい。当時の研究のためにも向いていないと考える。冊子本の方が分量の点から察するにはるかに合理的であろう。『水原抄』は『紫明抄』や『河海抄』と違って、誰かに献上するために作られたものではないと考えられる。少なくとも、そのような記録はない。従って、『水原抄』は著者、親行の周辺で使われていたものであり、それゆえに、あまり普及していなかったのかもしれない。この点で『水原抄』は『光源氏