ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL503(32)『葵巻古注』325スキニケルメノトタツモノトハ…『葵巻古注』の本文は「すきにける御めのとたつひと」で、それに対応する裏面の注釈の中に改めて本文があげられているが、そこでは「スキニケルメノトタツモノ」である。このように、この本文にある「ひと」と「モノ」が一致していない。表と裏の違いはあるが、両方の本文が書かれている位置は非常に近い(裏の直後)ので、書写のミスとは考えにくい。もし『水原抄』が本文全文の載せられている注釈書だったとしたら、このような本文異同は起こらなかっただろう。可能性としては、この注釈が元々『葵巻古注』の親本から写されたものではなく、別の本から転写されたと考えた方が自然ではないだろうか。さらに、このような例は他にもある。ロ、『葵巻古注』331、『源氏物語大成』(296-08)は御禊ノ時ノ車アラソヒノ事ナリかなき事のおりふしに人の裏…『葵巻古注』331此- - - - - - - -巻ニ云クトシコロハイトカウシモアラサリシ御イトミコヽロヲハカナカリシ車ノトコロアラソヒニ人ノ心ウコキニケルヲカノ殿ニハサマテモオホシヨラサリケリ云々『葵巻古注』の『源氏物語』本文は「はかなき事のおりふしに人の…」で、その行間に「御禊ノ時ノ車アラソヒノ事ナリ裏」の傍注がある。裏面をみると、「此巻ニ云ク」以下で、「葵」巻の本文が改めて書かれているのである。『葵巻古注』には本文全文が掲載されているにもかかわらず、改めて同じ巻の本文をあげるのはなぜか。過剰なまでに丁寧な作り方をしているか、さもなくば、他の本から引用したということ以外、考えられないだろう。しかも、この注釈に引用された本文と『葵巻古注』の表にある当該箇所の本文をみてみると、次のように異同がある。『葵巻古注』326、『源氏物語大成』(294-08)…さるとしころはいとかくしもあらさりし御いとみこゝろをはかなかりしくるまのところあらそひに人の御こゝろのうこきにけるを・かのとのにはさまてもおほしよらさりけり…このような本文の異同があることで、『葵巻古注』の本文と、裏の注釈内に引用された『源氏物語』の本文は同じものだったのかという疑念が強くなる。次の例からも、同様の疑問が生じる。ハ、『葵巻古注』351、『源氏物語大成』(304-04)…おほしなけきとふらひきこえさせたまふさまかへウレシキセニモマシリテ事りておもたゝしけなるを・うれしきせもましりて…この箇所の裏面にある注釈内容は『後撰和歌集』の和歌だが、問題は裏面ではなく、表の本文の行間にある。大きく書かれている本文は「うれしきせもましりて」で、一方の行間に書かれている本文は「ウレシキセニモマシリテ」である。この場合は、大きく書かれている本文の隣にあるにもかかわらず、異同がある。「に(ニ)」一文字の有無というわずかな違いではあるが、この傍注はこの本文から直接に作られたものとは考えにくい。他の本から転写した可能性のほうが高いのではないだろうか。このような本文の異同がいくつかみられることから、稿者は『葵巻古注』の注釈は『葵巻古注』に元々備わってあった注釈ではなく、他の本から転写された可能性が高いと考える。つまり、『葵巻古注』とは、まず河内本『源