ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

『葵巻古注』と『水原抄』の関係―鎌倉時代の『源氏物語』古注釈の利用―(31)504が妥当ではないだろうか。以上AとBの二点、すなわち『葵巻古注』の巻子本型式と『水原抄』の重要な性質にかかわる問題について検討してきた。『水原抄』は本当に巻子本でなくてはならなかったのかというと、膨大な注釈を有する大部の『水原抄』には、むしろ冊子本こそがふさわしいようであった。また、『葵巻古注』の中に『水原抄』逸文にしばしばみられる問答形式がないことも、『葵巻古注』が『水原抄』そのものとは考えにくい面である。『葵巻古注』は確かに『水原抄』との関わりは有するだろうが、稿者としては、『水原抄』から注釈をとり出し、その内容を簡略化し、『源氏物語』の本文に添えて、巻子本形式に仕立てられたものではないかと推定する。従って、『葵巻古注』の注釈と『原中最秘抄』の内容の関連ばかりに注目すると、この本は間違いなく『水原抄』だという結論になってしまうのだろう。しかし、右にみてきたように『葵巻古注』が『水原抄』そのものとは考えられない点は無視しがたいのである。『葵巻古注』にはまだ問題がある。それは、この本における『源氏物語』本文の問題である。C、『水原抄』に『源氏物語』本文の全文が掲載されている問題前述したように、『葵巻古注』は『源氏物語』「葵」巻の本文を全て掲載する本である。池田論文では、『水原抄』に『源氏物語』の全文が掲載されていたことを示す根拠を『原中最秘抄』の中に見いだしている。・『原中最秘抄』「行幸」巻ハネヲナラフルヤウニテオホヤケノ御ウシロミモツカウマツラント思ヒ給シヲ水原抄ニ不載此尺・『原中最秘抄』「御法」巻ワカ宮マロカ桜ハサキニケリイカテ久シウチラサシ木ノメクリニ丁ヲタテカタヒラヲアケスハ風モ吹ヨラシト此事本ニ尺ナシ池田氏は、これらの注釈をとらえて、「即ち、水原抄の中には、注釈を必要とする源氏の本文を特に揚げておきながら、勘物を付してないものがあつたと見ることができるであらう」と述べた。しかし、「水原抄ニ不載此尺」といった類の言及は、池田氏が指摘したように『水原抄』に本文だけがあり、注釈を添えていなかったという意味だろうか。あるいは、単にこの項目は『水原抄』にあげていないという意味ではないだろうか。『水原抄』は現存しないので、『水原抄』と『原中最秘抄』との関係に類する、『河海抄』と『珊瑚秘抄』との関係に注目し、比較してみよう。『珊瑚秘抄』には三二項目があり、その内、『河海抄』の中に「秘説」や「秘事」と示されている項目は二〇項目ある。また、八項目は『河海抄』に項目があるが、「秘説」と示されていない。そして、残りの四項目は『河海抄』に全く見出されないものである。このように、『珊瑚秘抄』の中にみられる項目が『河海抄』の方では見当たらないという例から察するに、『原中最秘抄』の中に項目があっても、『水原抄』にはその項目がないということはありうることだろう。従って、『原中最秘抄』に「水原抄ニ不載此尺」や「本ニ尺ナシ」とあることをもって『水原抄』に『源氏物語』本文の全文が載っていたと推断しうるわけではないと思う。さらに、『葵巻古注』に掲載されている『源氏物語』の本文にはなお疑問がある。それは大きく書かれた『源氏物語』の本文と、注記の中で改めて引用された本文との間に異同がある点である。もし『葵巻古注』が『水原抄』であるならば、なぜ、同じ本から引用した本文に異同が生じたのだろうか。以下、例をみてみよう。イ、『葵巻古注』325、『源氏物語大成』(294-01)すきにける御めのとたつひともしはおやの御かたにつけつゝ…