ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL505(30)巻子本であったことを示唆するような記事も見当たらない。『水原抄』(『原中最秘抄』の奥書によると五十四巻)の分量は『光源氏物語抄』(五巻)や『紫明抄』(一〇巻)よりはるかに多い可能性は高いだろうが、豊富な内容を持つというだけで、巻子本型式だったと推察するのは無理がある。しかも、分量が多ければ多いほど、実は巻子本の方こそ冊子本よりもよほど扱いにくくなるのである。さらに大事なことは、現存する『葵巻古注』をみると、たしかに裏書があるのだが、注(10)で述べたように、『葵巻古注』の裏書きされた注釈の大半は三~四行程度の長くないものばかりなのである。巻子本型式の『葵巻古注』が、本当に親行の『源氏物語』研究成果を集めている『水原抄』そのものだと考えて良いのか、疑問をいだかざるを得ない。池田氏の示した『水原抄』の性質の中に、もう一つの重要な問題がある。それは先にまとめて示した八項の七番目、「源氏物語研究に関する古人の逸話の如きものを記したるもの」である。池田氏によると、「これは俊成・光行・西円・親行等が『源氏物語』を研究するにあたつて経験したような様々の研究上の逸事の如きものを記した」という特徴である。具体的には次のような例がみられる。・『河海抄』「花宴」巻さかゆくはるにたちいてさせ給へらましかは世のめいほくにや侍らまし水原抄曰此哥詞遺文歟但定家卿所覧本さか行時とありける歟云々・『河海抄』「松風」巻ことりしるしはかりひきつけたるおきのえたなとつとにて…西円法師といふもの草に枝あるへからすといふ義を執して木の枝とよみけり親行にあひてさま??に問答しけるよし水原抄にも載之親行又草の枝の支証とて古今の萩の露玉にぬかんととれはけぬよしみん人は枝なからみよ…・『河海抄』「幻」巻うないまつにおほえたるけはひ(略)…水原抄云大国には人の墓のしるしに小松をならへうふる事あり云々若は又峯つゝきなみ木なとにもひとしくおなしすかたなる松を馬鬣松と号する歟此松を馬のたちかみにたとへたりたとへはたけひとしかるへき心也然は紫上のたけすかたに中将の君思よそへられてたゝならましよりはらう??しとある歟如何子此事俊成卿殊難義也云々…右にあげた逸文にみられるように、『水原抄』には親行と同時代の学者たちとの問答が記されているのである。これらの例は『河海抄』から引用したものばかりだが、他の『水原抄』の逸文でも、このような性質がみられる項目は少なくない。だからこそ、この性質は池田氏自身も認めていたわけだが、寺本氏の先行論では『水原抄』の性質があらためて整理される際に、この点は削除されてしまった。削除した理由は簡単で、それは『葵巻古注』にこのような性質が一つも見当たらないからであろう。池田氏もこの点について気がつかないはずはないと思うが、『水原抄』逸文の中にしばしば見いだされるこの特徴的なタイプの注記が『葵巻古注』に一切含まれない理由について、氏の論文は何も述べていない。『葵巻古注』の中に、この『水原抄』にみえる明確な性質が見いだされなければ、『葵巻古注』は『水原抄』と「完全に一致」などとは言えないのである。稿者は、この問答形式の注釈が『水原抄』の中でも最も重要だと思っている。なぜならば、これは親行が同時代の学者達に質問したり取材したりした結果を、記録のように書いたもので、親行の『源氏物語』研究の積極的な努力を表している内容だからである。しかも、このような問答形式の注釈内容は、『水原抄』だけではなく、『光源氏物語抄』、『紫明抄』、『原中最秘抄』、『河海抄』、『珊瑚秘抄』など、比較的近い時代の注釈書において一般的といいうるほどよく見られるものでもある。『葵巻古注』に全く現れていないのはなぜか。それは、親行が「葵」巻に限ってはどこにも疑問を抱いていなかったというよりも、『葵巻古注』の注釈内容は簡略化されていると想定するほう