ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

『葵巻古注』と『水原抄』の関係―鎌倉時代の『源氏物語』古注釈の利用―(29)506のオリジナルかどうかは分からない。『河海抄』の中に、四辻善成の案が「今案」や「案之」として記されている項目は多数みられるが、「裏書」の注釈の中にはそのように明示している例がみられない。他方において、『河海抄』に限った話ではないが、四辻善成は他の注釈書などの注記を引用する際に悉く出典を明らかにしておらず、たとえば『光源氏物語抄』(『異本紫明抄』)などの先行する注釈書の名を示さずに同一と見なされる注釈を掲げている場合などもかなりみられる(17)。従って、「裏書」の内容は何らかの巻子本型の注釈書から写されたことを示唆している可能性もあろう。その注記そのものが『河海抄』オリジナルのものとは限らないわけだから、『河海抄』の原形が巻子本であったと断じるわけにはゆかないだろう。一方『七毫源氏』「絵合」巻の示す「河海抄裏書」はどういうものなのか不明だが、もし『河海抄』の原形が仮に巻子本だったとすれば、このような「裏書」からの引用を示す例が、この箇所だけではなく、もっと多くみられるのではないか。つまり、『河海抄』の原形を巻子本であると確定的にいうことは困難であるといわざるを得ないのである。右に述べたような事情は、『原中最秘抄』の場合も同様である。「裏ニアリ」という文言があったとしても、それは『原中最秘抄』のオリジナルのコメントとは限らない。すなわち、先行する注釈の文言がそのまま引用されている可能性を否定しきれないのである。むしろ、原形が巻子本だったとしたら、もっとこのような文言が多くみられたのではないかと推察されるのである。『原中最秘抄』の原形が巻子本であったかどうかがわからない以上、当然、『水原抄』が巻子本であったという、さらなる推論も成り立たなくなる。B、『水原抄』の性質と『葵巻古注』の性質の問題『河海抄』、『珊瑚秘抄』、『仙源抄』などから『水原抄』の逸文を拾ってみると、およそ六〇項目がある(『水原抄』と示されていないが、親行の名前がみえる説を含むと、一〇〇項目ほどある)。池田氏はこれらの『水原抄』の逸文を分類し、『水原抄』の注釈内容の性質を検討している。その結果、『水原抄』の性質は大別して次の八項があるとした。一、仮名に漢字をあてた簡単な語釈二、文字・語句・文章等の釈義三、和漢の文学・史実・伝説等の出典を注したるもの四、諸種の事項の考証を注記したるもの五、諸本の本文の考異を注したるもの六、疑問のままとして勘物を示さざるもの七、源氏物語研究に関する古人の逸話の如きものを記したるもの八、源氏物語中の人物・事件等について考証したるものこれらの性質について、池田氏はさらに次のように述べている。これは大事なポイントなので、いささか長い引用となるが諒とされたい。水原抄は―特に水原抄の初期の形態は、源氏物語の本文傍・頭・脚等に試みられた書入本ではなかつたかと考へられる。否さう考へるより外に自然な考へ方はないと思ふ。最初の注釈の形態が、書入本であることについては、伊行の源氏釈や定家の奥入等が己に実証してゐて、少しも不思議ではない。たとひ後人によつて注のみを集められるような事があつたとしても、少なくともその初期に於て、しかも重代の家の本に於ては、恐らく書入本の形であつたに相違ないと思ふ。もし水原抄が源氏物語の書入本であつたとすれば、あの豊富な内容はどうして書入れられたのであらう。恐らくそれは冊子ではなく、巻子であつたからであろうと考へられる。巻子本の裏面を利用しなければ、冊子の余白だけでは絶対にあれほどの大きな内容を書入れることはできないであらう。重代の家の秘本であり、代々考勘を追加して行つた水原抄が、冊子であるよりも巻子本である方がどれだけ自然であるか知れない。確かに、『水原抄』の逸文からみると、『水原抄』の注釈の内容は豊富で幅も広い。しかし、そのような理由によって『水原抄』の形態が巻子本でなければならなかったと考えるべきだろうか。実は、池田氏がまとめた『水原抄』の八種の性質というのは、同時代の『光源氏物語抄』や『紫明抄』にも全部そのまま当てはまるのである。だが、いずれの伝本も巻子本型式ではないし、