ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL507(28)・『原中最秘抄』「澪漂」巻源氏大納言内大臣ニ成給ヌ云々行阿云内大臣事(中略)周公旦ハ文王ノ太子、源氏君ハ桐壺ノ御子也、周公旦写宰相源氏君任内大臣相叶此義者歟裏ニアリ注目されたところは、この注釈の一番最後にみえる「裏ニアリ」である。この「裏ニアリ」とはどういう意味だろうか。池田氏は次のように説明する。「裏ニアリ」といふのは裏書に在りといふ意味ではないであらうか。代々書きつぎをして行く家の秘本が―秘抄とまでよばれて重んぜられた秘説・口伝・庭訓を記した最貴重の書が、片々たる冊子で、貼紙だらけで書き足してあつたと考へるよりも、かういふ種類の本に有り勝ちの巻子本であつたと考へる方が、もつと自然ではないであろうか。原中最秘抄が已に巻子本であつたとすれば、水原抄もまた巻子本であつたではないかと考へても、必ずしも不当であるとは言へないと思ふ。そしてもし巻子本であつたとするならば五十四巻から成つてゐたであらうといふことは、前期の奥書によつて想像される事である。つまり、池田氏の論では『原中最秘抄』の原形が巻子本であり、この注釈内容が裏面に書かれていたものだったから、『原中最秘抄』が冊子に整理された際、巻子本でしか使われていない文言が残されたとみている。これによって、『原中最秘抄』の原形が巻子本であったとすれば、『水原抄』も巻子本であったのではないかと結論づけた。果たしてこの結論が正しいものかどうか、検討を続けよう。池田論文では、原形が巻子本だった『源氏物語』古注釈として、『水原抄』、『原中最秘抄』だけではなく、『河海抄』の名前も挙げている(15)。その根拠としては、『河海抄』の中にも「裏書」という文言がいくつかあり、さらに、東山御文庫蔵『七毫源氏』にも「河海抄裏書云」がみえることがあげられている。その『七毫源氏』の「絵合」巻の巻末の「河海抄裏書云」について説明しておく。「絵合」巻の最後の丁の裏に、前半は「河海抄裏書云」としてその内容が、また後半は単に「河海抄」としてあり、その内容が示されている。後半の「河海抄」の部分は現存する『河海抄』(天理図書館や龍門文庫などが所蔵している中書本系統の諸本など)の本文中に確認ができた。一方、「河海抄裏書云」の内容は『河海抄』の中に見当たらない。池田氏は『河海抄』の「裏書」に対して、「『河海抄』がもと巻子本であつて、後人がそれを冊子として書き改め、内容の大整理を試みようとして、(中略)はじめから冊子に書かれて単にそれを写すといふ程度のものであつたなら、あれほど乱れるわけはない。」(16)と推察している。『河海抄』については本稿では本格的に扱いきれないが、この裏書のことはある程度丁寧に確認しておく必要があろう。『河海抄』に記される「裏書」は全八項目があり、いずれも短い注釈である。表の余白に書き切れないほどの量ではない。次に三例ほど掲出してみる。・『河海抄』「紅葉賀」巻御うちきの人めして裏書御クシラハラフハ上﨟也スマスハ中﨟也〔不本〕・『河海抄』「竹河」巻九日にそまいり給后妃也裏書云〔不本真本ナシ〕・『河海抄』「竹河」巻よの人のすさましきことにいふなるしはすの月夜…裏書に老女也〔不本裏書以下ナシ〕注目したいのは『河海抄』の「裏書」は『河海抄』全体にわたっているとはいいがたく、「紅葉賀」巻の一項目以外は、いずれも「竹河」巻と宇治十帖の例ばかりであった。しかも、これらの注釈内容は、実のところ『河海抄』