ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

『葵巻古注』と『水原抄』の関係―鎌倉時代の『源氏物語』古注釈の利用―(27)508げられていて、しかも、その内容が一致していないことについては池田氏自身が気づいていた。その後、重松信弘氏は池田氏も注目していた『原中最秘抄』との比較を通じて、『葵巻古注』が『水原抄』ではないと、池田論を否定した(12)。それから、この研究は五〇年ほど放置されたが、一九八五年に、寺本直彦氏によって重松説は否定されることとなった(13)。寺本氏は、前述した七海本の問題となっている二項目と、さらに、吉田本にみられる、「界法三味普賢大土」という一項目の注釈内容を『原中最秘抄』の内容と比較・検討した上で、次のように両者の齟齬とみられた点を説明した。『原中最秘抄』は、『水原抄』の秘説をそのまま抄出したものではなく、『水原抄』の勘注をふまえながら、それ以外の注が加えられるべきものである。したがって、『水原抄』の勘注と『原中最秘抄』の勘注とが「全く一致している」ことはあり得ないのであり、問題は両者が矛盾なく関連しているか否かということである。最後に寺本氏は次のように結論づけている。全体的にみれば、葵巻古注は『水原抄』たるべき諸条件をほとんど満たすのであり、かつまた『水原抄』以外、これに相当する河内方古注は他にないとすれば、この巻子本源氏物語古注葵巻は『水原抄』の零簡かとする故池田亀鑑博士の提案に対しては、然りと答えざるをえないと思われるのである。その後の田坂憲二氏の論文では、寺本論に賛同しつつ、さらに検討を加え、今まで言及されていなかった『葵巻古注』の特色を整理した。田坂氏の結論は「他に否定説の論拠がない以上、現在の段階では『葵巻古注』を『水原抄』と断じてよい」ということである(14)。このように、『葵巻古注』の先行研究では、重松論文以外のすべてがこの本を『水原抄』であると断じているが、最初の池田論文以外は、注釈内容のみに注視して、いずれも『葵巻古注』の形態、およびそれに関して池田論文が示した根拠を検討していない。稿者は、池田論文には大きな問題が残っていると考えている。それらについては次節でとりあげる。三、池田論文の問題点『葵巻古注』を発見した池田氏の論文に関して、稿者が抱く疑問は次の三点である。A、『水原抄』が巻子本形式だったとする根拠の問題B、『水原抄』の性質と『葵巻古注』の性質の問題C、『水原抄』に『源氏物語』本文の全文が掲載されている問題以下、これらの点について詳しく検討する。A、『水原抄』が巻子本形式だったとする根拠の問題池田論文では、なぜ『水原抄』は巻子本型式であったのかについて述べている。そして、そのことを理由の一つとして、巻子本である『葵巻古注』が『水原抄』そのものだと結論づけている。しかし、その根拠は妥当かどうか、まず、池田氏の論述内容を確認してみよう。池田氏は、『水原抄』と『原中最秘抄』の原形についてのヒントを前田家本『原中最秘抄』の奥書に見いだした。・前田家本『原中最秘抄』光源氏物語相傳事、自曾組光行至行阿四代、所令相読也、随而此物語五十四帖・同水原抄五十四巻・并原中最秘抄上下二巻、其外口伝故実当道之庭訓悉令伝受者也…池田氏は、この奥書から『水原抄』と河内本『源氏物語』が別のものであることを確認し、あわせてこの奥書において「此物語五十四帖」、「水原抄五十四巻」というように、「帖」と「巻」の使い分けがあることから、『水原抄』の原形は『原中最秘抄』と同じで、河内本『源氏物語』の冊子本形態とは違っていたと推測した。その際、現存している『原中最秘抄』で巻子本型式のものが見当たらないにもかかわらず、池田氏は『原中最秘抄』の「澪漂」巻にある注釈内容にもとづいて『原中最秘抄』の原形は巻子本だったと推測した。