ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

『葵巻古注』と『水原抄』の関係―鎌倉時代の『源氏物語』古注釈の利用―(25)510はじめに『水原抄』は鎌倉時代の代表的な『源氏物語』古注釈であり、河内本『源氏物語』を校合した源氏学者の源光行、親行の手により作られたもので、その名は現在までよく知られている。にもかかわらず、『水原抄』は何らかの理由であまり普及せず、室町時代あたりから、誰も伝本を確認できない状態になり、幻の本になってしまった。『水原抄』の内容は現存している注釈書にみられるいくつかの逸文しか知られていないのである。しかし、昭和初期に池田亀鑑氏がきわめて珍しい巻子本の『源氏物語』(いわゆる『葵巻古注』)を発見し(1)、この本こそが『水原抄』そのものではないかと推断した。これに対して、重松信弘氏は、『葵巻古注』の注釈内容が、『水原抄』の秘説中の秘説を抄録したとされる『原中最秘抄』の「葵」巻に採られている項目の記載内容と一致しないため、池田説を否定した(2)。その後、寺本直彦氏は、それらの項目を検討し、『原中最秘抄』の掲載している内容は河内方の「秘説」であるので、『水原抄』の内容と全く一致することはあり得ないと論じ、池田説を支持した(3)。それに加えて、田坂憲二氏の論では、それまでの先行研究が言及していなかった『葵巻古注』の特徴を詳細にあげた上で、結論としては「否定説の論拠がない以上、現在の段階では『葵巻古注』が『水原抄』と断じてよい」と述べている(4)。ただし、伊井春樹氏の『源氏物語注釈書・享受史事典』(5)の「源氏物語古注」の項目では「たしかに『水原抄』の蓋然性はありはするが、断定するまでにはいたっていないといえよう」と述べ、さらに、『水原抄』の項目では「なお、葵巻の本文に注記の存する巻子本の『源氏物語古注』は、『水原抄』の逸書かとされるが、蓋然性はあるものの断定するにはためらいも存する」と判断を留保している。それらの先行研究に対し、稿者はかつての論文で『葵巻古注』の本文区分の特徴について考察したが(6)、『葵巻古注』が『水原抄』であるか否かという点にはあえてふれなかった。それは、稿者には当初から『葵巻古注』の先行論に対する疑問があったからである。本稿では、その疑問点を示し、検討を加えることで、『葵巻古注』が『水原抄』との関わりをもつことはみとめるものの、『水原抄』そのものとは考えられないということを論じる。『葵巻古注』に対する疑問は、『葵巻古注』が巻子本であり、しかも「葵」巻本文の全文を掲載するという点で、現存している同時代もしくは近接する時代の諸注釈書とは二重の意味で体裁が異なっているところにある。しかも、池田論文以外の先行論はいずれも『葵巻古注』の注釈内容ばかりを重視し、『葵巻古注』自体の基本的な問題、つまり、なぜこの本は巻子本の形態で、かつ本文を全て載せているのかという点について検討してこなかった。『葵巻古注』の注釈内容が仮に『水原抄』に一致するとしても、『水原抄』から引用された注記である可能性、すなわち『葵巻古注』が『水原抄』そのものではないということもありうるだろう。本稿ではまず、『葵巻古注』はどのような『源氏物語』写本なのかを簡潔にまとめ、次に、池田論文の問題点を『葵巻古注』と『水原抄』の関係──鎌倉時代の『源氏物語』古注釈の利用──カラーヌワット・タリンWASEDA RILAS JOURNAL NO. 3 (2015. 10)Abstract