ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

『和歌一字抄』の注記をめぐって―注記を付す意図―(21)514て享受された可能性を示唆することになると考えられるからである。現代の我々は、それぞれの歌について、それが優れた歌であるか否かの判断がし辛い。しかし、秀歌撰であれば、そこに採録される歌は、単なる用例ではなく秀歌と認めてよかろう。多くの「歌学び」的用途に供されたであろうことも推察されよう。(略)また、同時に、『和歌一字抄』が単なる既成撰集資料からの抜粋などではないことが自明であり、清輔撰の私撰集としての意味をも持ち合わせていることになる(19)(傍線:梅田)。井上が題詠の際の「作歌の便宜」、日々野が「歌学び」の用途を想定するように、『和歌一字抄』は実用的な歌学書であったと指摘されてきた。『古蹟歌書目録』等を手がかりに、秀歌撰としても読まれていたことも指摘される。これは「歌題を検索して読むか(則ち頭から読まないか)」「秀歌撰として頭から読むか」の違いとして理解できる。『和歌一字抄』が「作歌」や「和歌調査」に利用できるのは、「目次と標目の対応」という他の歌集にはない機能が付与されているからである。図2は内閣文庫蔵本である。右の丁裏は目次の末の部分で、標目の漢字の下に通し番号や副標目が掲げられている。本文には目次と対応する標目と番号が掲げられており、その題で読まれた歌と作者が記される。この目次と本文の標目が対応するため、目次からの「歌題の漢字による検索」が可能となるのである。多くの諸本は目次を有するが目次を持たない本もある。次の図3・図4は架蔵本である。本書は井上宗雄旧蔵で翻刻も存する(20)。該書は下巻のみの零本であるが、外題はなく、一丁表に直書で内題が書かれ「「三十六番相撲立詩歌」と記す。なお基俊に同題の書があるが無関係である。次の丁から歌が始まり目次はない。つまり目次の「題」からは歌題を検索できない「歌集」なのである。『和歌一字抄』は、目次と標目が存する状態ではじめて「歌学書(索引)」としての利用が可能なのである。逆に「目次と標目」に注意しなければ秀歌撰として読むことができる。清輔自身も、秀歌撰と歌題索引証歌集の両様の性質を持たせる採歌と工夫を心がけていたのであろう。先に述べた、注記の操作による「印象」は、書物内容全体を把握して初めて感得されることである。歌題索引としての利用のみを考えられていたならば、こうした操作は無意味なはずだから、Ⅱ類本の出典注記を清輔の所為と考えて良いならば、『和歌一字抄』には当初から全体を一度は通読する秀歌撰としての性質が認識されていたと考えられる。そして、目次の欠脱が発生する本があることは『和歌一字抄』が完全に秀歌撰として享受されていた証左ともなるだろう。『和歌一字抄』とは、読み手が求める利用方法により、歌集と歌学書の間を揺れ動く書物なのである。外題・内題は「一字抄」とある諸本が多いが、書名から歌題を「一字」で引く本であると認識されていたかはわからない。というのも、「一字から歌題を引く」性質の書物は例がなく、享受者にはそのコンセプトが理解されにくかったのではないかと疑われるからである。鎌倉時代には歌題の検索に特化した歌学書として新古今歌人の詠作が増補されるのだが、同じ歌題一字引きの書物は後水尾院編『一字御抄』(元禄三年刊)まで待たなければならず、一般的な歌学書の規格とはならなかった。図2内閣文庫蔵本↑目次末↑本文開始丁