ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL(20)515させたことに注意を払い、『後拾遺集』前後に作られた多くの私撰集が顕輔、清輔の時代まで採歌源として利用されていたことを述べている。勅撰集ではない『和歌一字抄』にも、程度は異なれども同じ関心が向けられていたと考えれば、『後拾遺集』『金葉集』時代の私撰集が集中して注記に組み入れられている点に、しかるべき意図を読みとりうる。ただ、『麗花集』と『樹下集』が見えないが、撰者に疑問があったため除かれたのであろうか。出典注記がⅡ類本において清輔によって付されたと考えてよいならば、これらは前時代の私撰集を出典として記したことになる。この出典注記の傾向を政治的状況の変化による本書の改稿と密接に関連する現象と捉えることができるのではないか。草稿本から改稿本への改訂を、蔵中は次のように論じている。従来からの研究通り『和歌一字抄』は崇徳院句題百首開催後、仁平年中にⅠの形態で草稿本的性格を残しつつ、一応の成立をみたと思われる。それは歌会における題詠の隆盛を敏感に察知した清輔が、《歌題中の文字から、その文字を含む歌題による詠を検索するための書物》という画期的アイディアをもって編纂した、前代になき形の選集であった。その入集歌人は自ずと題詠歌を多く残した先行歌人、俊頼、顕季、匡房、経信らが中心となるが、また、新院すなわち崇徳院の詠十一首を含む内容であった。この崇徳院への処遇は、恐らく『和歌一字抄』を奏覧、献呈することを視野に入れてのものであろう。(中略)それゆえ、奏覧をも予期した未定稿本の形であったⅠから、崇徳院とその歌壇の色彩を薄めるべく努めたⅡの形態が生み出されたのではなかろうか。(中略)Ⅱで加えられた和歌には作歌年代の新しいものは避けられ、詠者の呼称もそのままに、あたかも仁平年中成立の如くに、改訂は進められた。ここには撰者清輔の保身の姿勢が窺えるようにも思われる(16)。(傍線:梅田)ここで指摘される、改稿による崇徳院歌壇色の低減と、草稿本から改稿本への出典注記の追加を、相互に関連する現象と見てはどうだろうか。もし清輔が自身や一族の和歌詠作のための証歌集として出典注記を施したのなら、より徹底して出典や作者に対する注や勘物を付したはずである。注記の不徹底さは清輔によるものではない論拠にもなってきたが、改稿に伴って清輔が付したという前提に立つならば、異なる見方ができる。これらの出典注記には崇徳院歌壇色を薄める効果が期待されたのではないだろうか。蔵中は仁平年中成立を偽装するかのように改訂が進められたとするが、それより以前の詠作を目立たせる意図もあったのではないか。『後拾遺集』『金葉集』時代の撰歌集に集中する注記を付すことで、あたかも採歌源が『後拾遺集』『金葉集』時代の秀歌に集中しているように印象付けようとしたのである(17)。このように考えると、作者注記が逓減されたかどうかについての問題を残すことになるが、改訂時に作者名表記に手を入れていると考える以上、その可能性を考えておくべきであろう。六『和歌一字抄』はどう読まれてきたかこの「歌集の印象」の問題を別角度から考えたい。『和歌一字抄』は、歌題索引付歌集という前例をみない性格だけではなく、秀歌集としても読まれてきたことを、井上宗雄は次のように述べる。一見して私撰集のようにみえるが、主たる目的は作歌の便宜に資する所にあったと思われる。あるいは作歌と共にその字の使われた先縦を、和歌調査において探るため、ということがあったかと想像される。その意味では作歌手引き書といってよく、広く歌学書の範疇に入るのであろうが、「桑華書志」所載「古蹟歌書目録」(尊経閣蔵)には「第六私撰集一字抄一部四帖」とみえ、また「私所持和歌草紙目録」(冷泉家時雨亭文庫蔵本)にも「打聞」(私撰集)の中に「一字抄」があるのは形態が私撰集にみえるからであろう(18)(傍線:梅田)。また日比野浩信も、井上論を受けて次のように記す。『和歌一字抄』は、『古蹟歌書目録』には「私撰集」、『私所持和歌草紙目録』にも「打聞」として記載されており、その形態から歌集として扱われていたらしいことは、小さからぬ意味を持つ。観賞に足る秀歌撰とし