ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL(16)519式部太輔」と示される。増補本系統書陵部本では「頼氏式部大輔」とあってⅡと一致する。「中原」姓に関する注記の差異はあるものの、「式部大輔」という官職は一応諸本で一致する。しかし、「頼長」「頼氏」の異同があり、該当する中原氏の人物は確認できない。藤原氏かとも疑われるが、他出が確認できず未詳とせざるを得ない。「素意法師」(二七五)の例では、増補本系統に「紀伊入道」とあり、原撰本ではⅡ「索紀伊入道」、Ⅰ類本では書陵部本「俗名重経素意法師」、谷山本・三康本では「素意法師俗名重経」である。内閣文庫本は「素」にも読める字形となっている。「紀伊入道」と「俗名重経」という原撰本系統での注記の異同が見られる。一方、原撰本系統と増補本系統で注記が一致する例もある。「橘為通監物」(三〇一)は増補本も含め諸本間でも注記が一致している。為通は『小右記』長和三年十月条に「進士橘為通」と見える人物であろうか。卑官で他に和歌が見えない。また監物であった記録も管見に入らない。増補本系統には「正通」とする異本もあるとする異本注記もあるが従いがたい。このような人物を「監物」と付すのは原資料に当たった徴証と考えられないだろうか。なぜならば、Ⅱ類本には出典注記と作者注記が共に付されているケースが見られるからである。次の二首は内閣文庫本の本文で示す。見花送日打聞橘為通監物春毎に咲きぬちりぬと花を見て身のいたづらに老いにけるかな(三〇一)遠山雪上科抄頼氏式部大夫よそにのみよしのゝ山の雪とみて我が身のうへとしらずもあるかな(一一三)このように『打聞』(良暹打聞)と『上科抄』の出典注記をもち、さらに作者注記も同時に付されている歌が見える。これらは散逸歌集の作者名表記を継承した注記かと考えられる。「御堂三十講御歌合」(一三六)には証本が現存し、「前越中守祐挙」という『和歌一字抄』とほぼ同じ作者名が確認できる(8)。「前」は脱落か。「五首俊綱会」の「義孝伊勢前司」(五一九)の注記も証本は現存しないが、同様の現象であろう。原撰本系統の作者名注記を閲する限りでは、明確に清輔没後に付された官位を特定できるものはない。Ⅰの作者名と注記は、例外もあるものの「姓+名+官職」という基本形をもっている。この注では「勘物」としては不十分であろうし(清輔本勅撰集に付与された勘物に鑑みれば、その情報量の乏しさが理解されよう)、依拠した資料の表記を流用したのではないかと疑われる。また、下巻にも中間本系統と増補本系統とで共有する注も存している。これらは鎌倉時代に本文が増補される以前から存在した注を継承したと考えても矛盾はないと思われる。こうした諸相から、現存する注記の全てではないにせよ、清輔が作者注記を施していた可能性はありうると考える。四出典注記の性質次に出典注記の性質を考えたい。Ⅰ類本にはほとんど存しないため、Ⅱ類本の内閣文庫本を考察の対象とする(9)。まずは出典注記が見られる歌を一覧してみる。歌番号は『校本』の番号を使用する。〔勅撰集〕拾(拾遺集)9354後拾遺1後(後拾遺集)558385110117144159278283287288269377389473485503531553569574578586592同(後拾遺集)570571572金(金葉集)816232534505760737496131157161164174187119255263271279328345358365372375387394417452464465512539594詞(詞花集)97〔私撰集〕良暹打聞6打聞・丁聞225292269415462507524