ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL(8)527者であった後漢と袁紹を守ろうとしたのである。後漢の異民族政策のすべてが、異民族との融和を目指す儒教理念に基づいて行われたわけではない。体制外異民族であった羌族には隷属を強い、その兵を外戚の基盤としていく。その後継者が董卓である。そして、羌族の抵抗には、徹底的な武力鎮圧を行うが、その主体となった西北列将の後裔、それが曹操である。これらの問題については、稿を改めて論ずることにしたい。注(一)青木栄一「三国志の歴史地理学」(『新しい漢字漢文教育』四五、二〇〇七年)。より大きな視座で、気候変動と東アジア史との関係を論ずる妹尾達彦「人類史と東アジア史の時代区分」(『中国史の時代区分の現在』汲古書院、二〇一五年)も参照。(二)匈奴に関しては、内田吟風『北アジア史研究』匈奴篇(同朋舎出版、一九七五年)、林幹『匈奴通史』(人民出版社、一九八六年)という代表的研究のほか、沢田勲『匈奴』(東方書店、一九九六年)、林幹(編)『匈奴史論文選集』(中華書局、一九八三年)、林幹『匈奴歴史年表』(中華書局、一九八四年)、劉学銚『匈奴史論』(南天書局、一九八七年)、陳序経『匈奴史稿』(中国人民大学出版社、二〇〇七年)などがある。(三)烏桓に関しては、内田吟風『北アジア史研究』鮮卑・柔然・突厥篇(同朋舎出版、一九七五年)、馬長寿『烏桓与鮮卑』(上海人民出版社、一九六二年)という古典的研究のほか、船木勝馬『古代遊牧騎馬民の国』(誠文堂新光社、一九八九年)、馬植傑「三国時的匈奴和烏桓、鮮卑」(『三国史』人民出版社、一九九三年)、白翠琴「烏桓与東郡鮮卑的内遷及其発展」(『魏晋南北朝民族史』四川民族出版社、一九九六年)などがある。(四)以上の経緯を含め、両漢時代の華夷思想については、渡邉義浩「両漢における華夷思想の展開」(『両漢儒教の新研究』汲古書院、二〇〇八年、『後漢における「儒教国家」の成立』に所収)を参照。(五)王莽の世界観とその対外政策については、渡邉義浩「理念の帝国―王莽の世界観と「大一統」」(『知のユーラシア』明治書院、二〇一一年)を参照。(六)南単于復遣使詣闕、奉藩①称臣、献国珍宝、求使者監護、遣侍子、②修旧約(『後漢書』列伝七十九南匈奴伝)。(七)『後漢書』列伝九耿?伝附耿国伝に、「(耿)国独り曰く、「臣以為へらく、宜しく孝宣の故事の如く之を受くべし」と。……帝其の議に従ひ、遂に比を立てて南単于と為す(〈耿〉国独曰、臣以為、宜如孝宣故事受之。……帝従其議、遂立比為南単于)」とある。(八)(建武)二十六年、遣中郎将段?・副校尉王郁、使南単于立其庭。去五原西部塞八十里。単于乃延迎使者。使者曰、単于当①伏拝受詔。単于顧望有頃、乃伏②称臣。拝訖、令訳曉使者曰、単于新立、誠慙於左右。願使者衆中無相屈折也。骨都侯等見、皆泣下。?等反命、詔乃聴南単于入居雲中(『後漢書』列伝七十九南匈奴伝)。(九)南匈奴の内附については、内田吟風「南匈奴に関する研究」(『北アジア史研究』匈奴篇、前掲所収)のほか、閔海霞・崔明徳「試論南匈奴内附于漢的原因及其影響」(『魯東大学学報』哲学社会科学版、二四―二、二〇〇七年)を参照。後漢の南匈奴政策全般については、胡玉春「南匈奴与東漢的政治関係及其社会変革」(『内蒙古社会科学』漢文版、二八―六、二〇〇七年)、王平「論東漢対南匈奴的政策」(『白城師範学院学報』二二―一、二〇〇八年)を参照。(一〇)単于歳尽輒遣使奉奏、送侍子入朝、中郎将従事一人、将領詣闕。漢遣謁者、送前侍子、還単于庭、交会道路。元正朝賀、拜祠陵廟畢、漢乃遣単于使、令謁者将送。賜綵繒千匹・錦四端・金十斤・太官御食醤、及橙橘・龍眼・詼支、賜単于母、及諸閼氏・単于子、及左右賢王・左右谷蠡王・骨都侯有功善者、繒綵合万匹。歳以為常(『後漢書』列伝七十九南匈奴伝)。(一一)後漢「儒教国家」については、渡邉義浩『後漢における「儒教国家」の成立』(汲古書院、二〇〇九年)を参照。(一二)東都之儀、百官・四姓親家婦女・公主・諸王大夫・外国朝者侍子・郡国計吏会陵。昼漏上水、大鴻臚設九賓、随立寝殿前(『続漢書』志四礼儀上)。(一三)上計吏については、鎌田重雄「郡国の上計」(『史潮』一二―三・四、一九四三年、『秦漢政治制度の研究』日本学術振興会、一九六二年に所収)、曽我部静雄「上計吏と朝集使」(『国士館大学人文学会紀要』二、一九七〇年)を参照。(一四)九賓、謂王・侯・公・卿・二千石・六百石下及郎・吏・匈奴侍子、凡九等(『続漢書』志四礼儀上引薛綜注)。外国の侍子が匈奴に限定されなかったことは、『後漢紀』