ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL「〔唯一人、魔術師のように流動的で・・・〕」の章の冒頭で、マラルメはローデンバックの舞踊論を引用し賞賛する。マラルメが舞踊思想を総括する箇所で、ローデンバックに言及せねばならなかったのはなぜであろうか。マラルメはローデンバックのどの点をほめたのか、またなぜローデンバックひとりが特権化されたのかについて考える必要がある。ただし、ローデンバックにおいては、舞踊のテーマは等閑視され、その舞踊思想がいかなるものかについてほとんど知られていないゆえ、これを明らかにするところからはじめなくてはならない。これらの点について、本稿では、ローデンバックの舞踊論としてはほぼ唯一のものとなる1896年5月5日発行の『フィガロ』紙の記事「踊り子たち」に着目し、マラルメの舞踊論と比較する。2人が互いの意見に同調あるいは対立している箇所を手がかりに、2人の舞踊思想および相互の影響関係を分析し、それぞれの舞踊観の問題点と相違点を提示する。本稿では、とりわけ、マラルメによるローデンバックの引用を一箇所書き換えている点を集中して取り上げ、そこから分析を試みる。とくに、ローデンバックが考える舞踊とマラルメのそれは、本質的に同じものとみなせるか否か、この点を明らかにする。むろん、わずか一箇所の表現の変更から両者の舞踊観の相違を論じることに無理が生じるのは否めないが、マラルメの一語も疎かにしない詩的創造のあり方、あるいは、マラルメの詩作品において、ただ一語の変化が作品の解釈を根底からかえてしまう可能性を常に秘めている事実を考慮に入れると、たった一箇所の書き換え部分を根拠に、両者の思想の相違をみてとることは難しいことではないと考えられる。2.先行研究ローデンバックの文学上のキャリアは、マラルメの晩年期と歩みを共にし、マラルメの死と同年に若くして亡くなるまで、2人の交流は文学上のみならず私生活においても親しく続いた。こうしたマラルメとローデンバックとの交流は、これまでの研究においてどのように描かれてきたのだろうか。2人の交流については、『ステファヌ・マラルメとジョルジュ・ローデンバックの友情(2)』という書簡や記事を中心に、アンリ・モンドールが1949年にまとめた選集があり、これが最も重要な参考文献となっている。また、2005年にヴァルヴァンのマラルメ記念館において、ローデンバックをテーマにした展覧会が開催され、これに付随して刊行された展覧会カタログ『ジョルジュ・ローデンバックあるいはブリュージュの伝説(3)』によって、マラルメとローデンバックの関係を新たに見直す機会が与えられた。しかしこの2冊は、いずれもマラルメ研究の側からのローデンバック像であり、かつ半世紀ものあいだ、この2人の関係の研究がほとんどなされてこなかったことを示している。その結果、マラルメとローデンバックについての言及の多くが、書簡にみられる私的交友からの伝記的な側面の紹介に留まり、2人の文学上の交流を、作品から、あるいは詩論の観点から、本格的に論じたものは少ない。他方、ローデンバック研究については、1950年代にピエール・マエス(4)による伝記的な研究があり、90年代後半になってベルギーの研究者ジャン=ピエール・ベルトラン編纂の論集『ローデンバックの世界(5)』が重要視されてきた。また、2000年にベルギーで『ローデンバック全集(6)』が刊行され、2007年にはローデンバック研究で近年目立った活動をしているポール・ゴルセイによって『あるジャーナリストの批評集(7)』という、ジャーナリストとしてのローデンバックの仕事(雑誌や新聞の記事)をまとめた選集が刊行されるなど、活気を帯びつつある(8)。しかしローデンバック側の研究が遅れているせいか、マラルメとの交流に関する論考に目立ったものはなく、先行研究が少ないのが現状である。こうした研究背景から、本稿の立ち位置は、あくまでマラルメ研究からの視点となるが、とくに舞踊を鍵概念として、2人の思想を浮き彫りにする点で、他の研究とは異なるものである。とりわけ、本稿ではマラルメとローデンバックが舞踊論において互いに引用した箇所の比較分析から出発することで、二者の舞踊概念を浮かび上がらせることを試みる。本稿ではまず、マラルメがローデンバックの舞踊論をなぜ扱ったのか、また、「〔唯一人、魔術師のように流動的で・・・〕」の執筆背景を書簡や伝記的記述に求め、そこから2人の影響関係の深さを示し、最終的に2人の思想的交流を明らかにすることを目的とする。54