ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL「アルチュール・ランボー」等が「全身像」として長文で詳細にその姿が描かれている。もっとも、それぞれを書く機会は「ベックフォード」を除くすべてが追悼文として、遺作展カタログあるいは弔辞などの、受動的要因によるものであり、何らかの媒体に一度掲載されたものであった。マラルメは年若いローデンバックのために、その才能を認めるがゆえ(21)、11名の友に捧げた肖像に代わるかたちで、友情や敬意を込めた文章を残したいと常々考えていたことが以下の書簡(1896年5月8日ヴァルヴァン)から読み取れる。なんと君からではないか、ローデンバックよ、私に届いたこの新聞は。この記事はまったく見事だ。舞踊というこの未開拓の主題について、幾つもの予見がある。あるいくつかの文章は絶対的だ。手前勝手ながら、私は満足している、なぜなら、私のファスケルの本のよき場所に君の名をおきたいと努めていたところであったし、まさに絶好の機会だ。(22)絶対的な文章(des phrases absolues)を書き、また彼の持つ先見の明は[・・・] (24)」というように使用された。このことから、マラルメがローデンバックに対して一貫した印象を抱いていたこと、そして、これがマラルメの描くローデンバックのポートレートであり、単なる円形肖像に留まらぬ作品として彼の姿を残しておきたいという希望がうかがえる。5.ローデンバックおよびマラルメによるそれぞれの引用マラルメは、ローデンバックから先の『フィガロ』紙の記事「踊り子たち」をヴァルヴァンで受け取ってすぐ妻と娘に感想を伝え、大いに喜びを示している(25)。その理由は、ローデンバックが『フィガロ』紙の第一面記事で、マラルメの舞踊論の名言を引用していたからにほかならない。「踊り子は一人の女なのではなく」、とはマラルメ氏がバレエについての精緻な論考で語るところだが、「われわれの形式の最小要素となる様相のひマラルメは毎年、初夏から秋口までヴァルヴァンで過ごすことを習慣とし、86年頃からは、より多くの時間をそこで過ごすようになった。この96年は11月末までヴァルヴァンにいたこと、また、『ディヴァガシオン』編纂はこの夏に行われていたこと、とりわけ「〔唯一人、魔術師のように流動的で・・・〕」の章を96年6月に準備していたことが書簡に記されている(23)。上記の引用では、ローデンバックが自ら、「踊り子たち」という題の自分の記事を、マラルメのいるヴァルヴァンに送付していたことがうかがえる。「私のファスケルの本」とは『ディヴァガシオン』のことであるが、「そのよき場所に君(ローデンバック)の名を置きたい」と考え、「これこそ絶好の機会」と記している。これはすぐ実行にうつされ「〔唯一人、魔術師のように流動的で・・・〕」の章として仕上げられ、翌97年に『ディヴァガシオン』というかたちで上梓された。上記の引用にみられる「舞踊という未開拓の主題(cesujet vierge, la danse)」や「あるいくつかの文章は絶対的(Telles phrases sont absolues)」という表現はそのまま『ディヴァガシオン』において「ローデンバック氏は、このモスリンのように手つかずの主題(ce sujet vierge)について、いともたやすくとつ、つまり、剣、盃、花等を要約するひとつの隠喩であるのだ。」(26)ローデンバックがここで引用しているマラルメの一節の出典は、91年5月5日にドマン書店から刊行された『パージュ(27)』である点は注目しておきたい(28)。91年7月7日付の書簡にてローデンバックはマラルメに『パージュ』の感想を書き送っている。現在では、マラルメの舞踊論の白眉ともいわれるこの箇所は、20世紀においてこそ繰り返し引用され有名になったものの、この一節を重要なものとして評価し引用したのはおそらくローデンバックが初めてであった(29)。ローデンバックにおける舞踊思想はほぼ全面的に『パージュ』における舞踊論およびロイ・フラー論(『ナショナル・オヴザーヴァー』紙93年)にもとづくものと考えられる。ローデンバックの舞踊論に具体名のあがる踊り子は、マラルメが言及したコルナルバ、ロジタ・モーリ、ロイ・フラーに限定されるからである。とりわけ、ローデンバックがマラルメの舞踊論を引用し自説を展開するに至ったのには目的があり、シャンゼリゼのサロンに出品されたファルギエール56