ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALである。とりわけ、ロイ・フラーの踊りは、布で身体をすっぽりと覆い、自分を軸にして広がる布を、遠心力を使って大きく動かすことで表現する芸術であるゆえ、布は不可欠な要素となる。ローデンバックが先の引用において「qui se cache」とする意味は、踊り子の身体が、律動に属しつつも、律動そのものは消えてなくなるからである。そのとき、身体があらわとなるからこそ、身体を衣装で隠すことが重要な課題となるのである。問題は、ローデンバックによる原文において、律動と身体とヴェールの関係性が曖昧に表現されている点にある。なぜならば、「律動が自らを隠す」ことにおいて、身体が一体いかなる状態にあるのかがまったく不明だからである。はたして、ローデンバックはヴェールをいかなるものとして位置づけていたのであろうか。フローベールをみたまえ、彼はあの見事な『ヘロディアス』の物語で、サロメが色彩豊かなドレスを身にまとい、マンドラゴラをちりばめた黒いカルソン(長ズボン)で両足を隠すように工夫して描いているではないか。さらに、青みがかったヴェール、絹の端々が光の加減によって色が変わるヴェールをかけている。(33)ここから、ローデンバックが、あくまで衣装が身体を隠していることを重視し、基本的にヴェールを衣装の小道具としてとらえていた点を指摘しておきたい(34)。それは、ローデンバックにおけるヴェールとは、具体的な事物の意味に留まり、それが何かを指し示したり、象徴的な効果をもたらしたりするものではなかった可能性を示すものである。7.比較分析、および分析結果から導かれる考察7-1マラルメとローデンバックにおけるヴェールの役割の相違ローデンバックにおけるヴェールの役割は先にみたとおり、視覚的効果にかかわるものであり、一義的な意味にとどまる傾向があるが、ひとつ例外的に、布の役割に興味深い解釈をもたせているところが以下の記述である。したがって「踊り子」はイリュージョンとしてあらわれるのであり、「女」というよりは、より美しいもの、むしろ「欲望」としてあらわれるのだ。これを、踊り子は、薄衣とおしろいの陰に退き、要約する。断続的にあらわれる魅惑的肉体よ! (35)踊り子の身体が、薄衣をとおして間欠的に見えたり見えなかったりするところに欲望を感じるというこのくだりは、マラルメに影響している。マラルメは、ローデンバックの一節を引用したあとで、以下のように布とヴェールにふれる。とりわけ骨組みは、いかなる女性にも属さず、それゆえに不安定な、一般性というヴェールを通して、形象によって啓示されたしかじかの断片において、またその断片を神格化するところの光をひきつけ、とりこんでゆく。あるいはまた今度は、薄布の波動によって漂い、うち震え、散乱するものとして、この恍惚を発散する。そうとも、舞踊のサスペンスとは、あまりに見えすぎてしまっているか、また同時に、まだ充分に見えていないという矛盾した恐れあるいは願望であるが、それは透明な延長を要求している。(36)この箇所でマラルメは、ローデンバックの論評をうけるかたちで、舞踊における衣装の重要性を述べている。この一節にみられる舞踊のイメージはローデンバックとおなじくロイ・フラーのものである。すなわち中心に性別をこえた存在となっている踊り子を骨組みとしてすえおき、その周囲で、漂い、震え、散乱するイマージュを効果的に表すには、ヴェールが重要であるということである。マラルメにおいてヴェールには二つの役割があり、ひとつには舞踊の視覚的効果として踊りの表現を助ける役割、もうひとつは、対象物を明確に知覚することへの欲求をかきたてながらも同時にそれをはっきりと知覚させることを拒絶し、曖昧性をあえて残すという役割である。とはいえ、マラルメがヴェールについて語るのはロイ・フラー論においてだけではなく、むしろバレエ論においてであり、ロイ・フラーにおけるヴェールとバレエにおけるヴェールを同一視して扱うことは難しいと考えられる(37)。マラルメはバレエ論においては、ヴェールをもっぱら象徴的な意味で用58