ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALを追求した尖塔を持つように――「ロマン的建築」へと発展するものとされている(36)。そしてオベリスクとピラミッドは共に第一段階の「象徴的建築」に分類されているが、オベリスクは男根像のように具体的な形態をとることはないものの、家や神殿といった手段のために存在するのではなく、あくまで太陽光線を象徴的にあらわすものとして建てられた建築物であると解釈される(37)。これに対し、ピラミッドは「象徴的建築=独立自存の建築」から「古典的建築=手段としての建築」への移行を示すものとされ、ヘーゲルはこれを「死者の住居」にして「最古の神殿」と捉え、そこに魂の不死という観念の最古のかたちを見出しつつも、やはり「本格的な家」とはその形態を異にするもので、他の目的に仕える手段に甘んずることなく、それ自体が独自の意味を持っていると結論付けている(38)。オベリスクが太陽光線を象徴するという解釈(39)、そしてピラミッドが王の不死性を目指して建てられているという解釈(40)において、バタイユとヘーゲルの見方は一致する。さらに1953年『クリティック』誌にエドガー・モランの著作に対する書評として発表された「死の逆説とピラミッド」(のちに生前未刊行の草稿『至高性』に組み込まれる)でも、バタイユはヘーゲルを引きながら、至高者としての王を神に重ねつつ、その王=神の死が太陽光線のイメージからなるピラミッドによって不死性へと転換されると書いている(41)。ニーチェ的な「神の死」が否定されているという意味では、1938年の「オベリスク」の時点ではいまだニーチェとヘーゲルの間にあって揺れ動いていたバタイユの立場が、ここにきてヘーゲルの側へ大きく傾いていると言うことができるだろう(42)。「神の死」の否定というほど極端ではないものの、1956年に『コンプランドル』誌に発表された「文化の曖昧さ」という、ピラミッドに言及したバタイユの文章の中では最晩年に当たる論考(43)も、この見方を大きく外れるものではない。しかし後者の論考には「オベリスク」のそれに通じるようなピラミッド観があらわれた以下のような一節も見られる。実用の視点、つまり労働の視点から見ると、ピラミッドは今日でいえば、完成してすぐ理由もなしに放火されてしまう摩天楼を建設するのと同じくらい虚しいものなのである。(44)ここにいう建設されてすぐ理由もなく放火される摩天楼のイメージは、「オベリスク」にあらわれていた「倒壊するために立っているに過ぎない」大いなる形象(45)や、「ただ崩れ落ちるためだけに建設された」バロック的にして狡猾な建築物(46)――すなわち十字架を接合されたオベリスク――に通じている。建築物それ自体が既に建築の否定、すなわち倒壊や崩落を孕んでいるという、われわれが「オベリスク」において見た両義的な建築イメージは、ドゥニ・オリエが既に指摘しているようにバタイユ思想の大きな独自性である(47)。「神の死」の否定という点でヘーゲル的な立場への傾きが見られる「死の逆説とピラミッド」および『至高性』にも、ピラミッドやオベリスクが孕むこうした建築の両義的な側面について以下のような記述があることは注意に足る事柄だろう。ピラミッドは単に最も持続的な記念碑であるばかりでなく、記念碑と記念碑の不在との、移行と消された痕跡との、存在と存在の不在との合致なのである。(48)次節ではこうしたバタイユに特異な建築のもつ両義性という問題について、ドゥニ・オリエによる先駆的な研究と、その英訳から影響を受けたアンソニー・ヴィドラーの著作を参照しつつ、再び議論を論考「オベリスク」の方へ戻すことにしよう。2-2.建築の両義性と「天空への墜落」ドゥニ・オリエ『コンコルドの占拠』はジョルジュ・バタイユの著述活動を、新資料として発見された十代の頃の著述「ランスのノートル・ダム」や『ドキュマン』誌に寄せた「建築」ほかの論考を出発点として、ヘーゲル『美学講義』やパノフスキー『ゴシック建築とスコラ学』などを援用しながら、いわば「建築の相のもとに」見ることで一貫した視座を与えようとした、バタイユ研究史において記念碑的な書物であった。『反建築』(49)と題されたその英訳が英語圏の建築関係者に及ぼした影響の大きさは、たとえばアンソニー・ヴィドラーの『不気味な建築』に見出される。そこでバタイユは「モニュメントの力」や「社会における権力の建築術的構造」68