ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

ページ
73/542

このページは RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌 の電子ブックに掲載されている73ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

広場あるいは<神の死>の劇場―ジョルジュ・バタイユ「オベリスク」読解―い。太陽光線を象徴するオベリスクという建築そのものが上昇と墜落の両方の性格を既に胚胎しているわけだが、そこに太陽とは別の光、すなわち狂人のランタンが当てられるとき墜落の側面があらわになり、初めから倒壊することを運命付けられた建築物として、「流転するもの」を顕現させるのである。オリエは書いている。「時間の流れによって持ち込まれた記念碑。コンコルド広場にあって、突如、沈黙。広場はその名を変える。〈恐怖〉の広場へと。オベリスクとピラミッドは、換喩法的な歪曲によって、隣にあるべき流れを作り出す。すなわち、ナイル川とセーヌ川である」(67)。過度なまでに凝縮された文章ではあるが、意味は明瞭である。コンコルド広場へと持ちこまれたオベリスクはその両義的性格のうち「流転するもの」の側、倒壊するためだけに建てられた建築物という性格をあらわにし、パリを流れるセーヌ川を換喩的に、エジプトにあってオベリスクやピラミッドの傍らを流れていたナイル川へと結び付ける。「流れ」(fleuves)の語を共有する「時間」、ナイル川、セーヌ川はむろん「流転するもの」の形象であり、その流転の中で「調和」を意味するコンコルド広場は革命の流血沙汰を想起され、〈調和〉の広場から〈恐怖〉の広場へと変貌を遂げるのである。3-2.悲劇性への意志と劇場空間先に引いた「オベリスク」の一節で、ランタンの光を投げかけられることでオベリスク、そしてコンコルド広場が王の処刑場にして「神の死」の現場という性格をあらわにする情景を、バタイユは「光景」(spectacle)という語で表現していた。この語は当然のことながら「見世物」や演劇をも意味するものであり、語源からいえば「見る」という意味合いの強い語である。観客の視線を集め、それも複数の視線が交錯するところで演じられるのが演劇であり、スペクタクルだとすれば、バタイユの手によってオベリスクを媒介として王の処刑場、さらにはニーチェの「神の死」が宣告された現場へとその性格を変貌させられるとき、コンコルド広場はもはや単なる現実空間ではなく、王の死=神の死という、そこでかつて演じられた一場のスペクタクルが再び観客の視線に晒される劇場空間と化す。先に触れたようにアンソニー・ヴィドラーは『歪んだ建築空間』の中で、「オベリスク」がコンコルド広場を「王の処刑」そして「神の死」という殺害事件の現場であることを暴き立てることで、空間そのものが胚胎している「不気味なもの」をあらわにしたことを、同じバタイユによる犯罪現場の写真集への書評と関連付けて論じていた。確かにこの広場はかつて王の処刑=神の死という殺害が執り行われたという点で一種の犯罪現場といえるかも知れないが、ヴィドラーに敢えて付け加えるならば、かつてそこで発生した「犯罪」は民衆とその視線を必要とし、またその視線が交錯することによって初めて「犯罪現場」という不気味な空間を形成しえたのだから、通常の犯罪とは違う、いわば「劇場型犯罪」の現場であったということができるだろう。ニーチェの狂人がランタンで照らし出すとき、コンコルド広場は犯罪現場というだけにとどまらない、一個の劇場空間という隠された本性をあらわにするのである。実際、バタイユはピラミッドやオベリスクといった建築物がその性格を転倒させ、「不変のもの」から「流転するもの」としての時間の方へと移行するとき、こうした「記号の転倒」を「いまだ解明されざる《秘蹟》」(le moins explique des≪mysteres≫)にして「時間に捧げられた祝祭」である「悲劇」と呼び、そこで流れ出す時間をニーチェの嗜好と関連付けながら「悲劇時代のギリシャ」に流れていた時間になぞらえていた(68)。コンコルド広場のオベリスクがランタンの光によってその性格を転倒されるときによみがえる王の処刑の情景、「神の死」が宣告される情景は、こうしたバタイユの用語法に倣えば一場の「悲劇」であり「秘蹟=神秘劇(mystere)」(69)であることになる。「オベリスク」最後の断章には「ニーチェ=テセウス」(NIETZSCHE-THESEE)という題を与えられているが(70)、それはオベリスク、ピラミッドと並んでバタイユの強い関心を惹いてきたもう一つの建築物にして、「上昇」のニュアンスが強い前二者とは異なり明確に「下降」を象徴する迷宮ラビュリントスがここでも登場するからである。革命における王の処刑が「神の死」として再演されるとき、オベリスクは天空への上昇から反転して地下への下降を始め、コンコルド広場の劇場空間は怪物ミノタウロスの棲まう迷宮となる。周知のことながらテセウスは古代ギリシャの三大悲劇詩人のうちエウリピデス、ソフォクレスの二人までが悲劇の題材とした人物造形である。広場の空間が秘めていた「悲劇」71