ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALイザドラがデルサルトを、エリザベスがダンスを教えている。イザドラがデルサルトを教えていたことは興味深い(33)。イザドラは、当時デルサルト・システム教師という肩書きがあり(34)、後に恋人となったクレイグ(35)も「イザドラはカバンの中にデルサルトの本を持っていた(36)」と語っている。レイモンドは「どの程度彼女たちがデルサルト・システムを学んだかよく覚えていないが、踊りの中には手首が動きを先導し、手先は従うといった腕の動きが原則にあった(37)」と覚書に記述している。またイザドラは幼年期にエリザベスと共にジムナスティック(体操)の教師パウル・ウーテル(38)からインディアン・クラブ(体操用具の一部)の扱い方、跳び箱、平行棒、行進を習得した。ウーテルはドイツ語で指導しており、これが2人にとって後にドイツで舞踊学校を開設する際に役立つことになる。レイモンドによると、イザドラが網を手に持って踊った『蝶々』は、このインディアン・クラブ(図2)で習得した動き(39)を取り入れた可能性が高く、スの学びを基に、最初に創作した『蝶々』ではないかと推察される。その後、ダンカン一家はサンフランシスコに戻り、ヴァンネス通りとサター通りの角にある古い邸宅(42)に芸術学校を創設している。この学校でエリザベスとイザドラのクラスはさらに拡大し、大広間ではオーガスティンが英国人詩人の詩を朗読する会を開催するなど、社交的で文学的な活動へ範囲を広げることになる。活動は家の中だけに留まらず、オーガスティンがカリフォルニアの街を巡回してシェイクスピアとオーウェン・メレディス(43)の朗読を行い、当時まだ12歳だったイザドラが踊り、エリザベスとレイモンドが加わって喜劇を演じるなど大成功を収めた(44)。翌年、レイモンドはオークランドのユニタリアン教会(図3)を15ドルで借り、そこでイザドラはパントマイムのダンスを踊り、軽快なダンスをレイモンドと2人で踊っている(45)。ダンカン一家としても西海岸沿いに巡業(サンタクララ、サンタローザ、サンタバーバラなど)に出るなど、外での活動を精力的に行った。図2.インディアン・クラブのエクササイズの一例図3.ユニタリアン教会体操クラブで学んだ行進の動きはいつも彼女の舞踊の中に取り入れられていた(40)。また、これらのレッスンで習得したテクニックと教授法は、イザドラの舞踊から決して離れることはなく、彼女の創作の一部に常に重要な特徴として残っている(41)。イザドラはオークランドのディエッツ・オペラハウスで、『ファンシー・ダンス』、『蝶の踊り』、そして『パントマイム』を踊っているが、これらの踊りは、彼女がエリザベスと共に舞踊学校の発表会を観て取り入れたファンシー・ダンスとジムナスティックのクラ図4.左からエリザベス、レイモンド、イザドラ、オーガスティン78