ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

イザドラ・ダンカンの初期舞踊形成・公演活動について-アメリカでの活動を中心に-がバレエ的な衣装を身に纏っていた様子が読み取れる。この公演でエリザベスは中世ラテンの歌『春の精』を朗読し、イザドラはワルツの音楽と共に身体でその詩を大変優雅に描写した。この作品で表現されたのは、大地が暖まり、春の訪れにより花々が目覚めるというものであった。他には、『ルバイヤート』の詩を表現し踊っていたようであり、観客席にはニューヨークの名士の夫人達がいたことも記述されている(73)。また、同年3月9日付のニューヨーク・タイムズ紙は、「3月8日にエリザベス・ダンカンが土曜の朝のダンスのクラスの女性たちの後援の下、B・S・スターンベーガー夫人の家で『舞踊の哲学』を朗読し、イザドラ・ダンカンが姉の朗読を踊りで表現した。」と伝えている(74)。イザドラの踊りが飛躍的に開花したのは『オフィーリア』の踊りからであることがレイモンドの記述からわかった。レイモンドは「イザドラが踊るためのテーマを探していると、誰かが作曲家エセルバート・ネヴィンの『ナルシスの組曲』、『水の精』、『オフィーリア』を持ってきた〔中略〕イザドラはとくに『オフィーリア』を踊る時、天賦の才の兆候を現わしはじめ、それまで、彼女の多くの作品は優雅で可愛いらしく、魅力的であったが、『オフィーリア』で彼女は劇的な力を発した(75)」と覚書に記している。イザドラはこの『オフィーリア』を踊ることで、今までの優雅で可愛らしい踊りから、演じる踊りに変わっていったと思われる。これはデイリー劇団で2年以上学んだ成果であるとイザドラ自身が一番感じていたのではないだろうか。ヨーロッパから帰国した直後のネヴィン(76)は、当初イザドラが自身の曲に合わせて踊っていることに立腹した。しかし、イザドラの踊りを見て感激したネヴィンは、逆に彼のコンサートへの出演依頼をし、1898年3月24日、共にカーネギー・ホールのライシィアム劇場で、錚々たる富裕層の夫人達の後援を得て公演を行うことになった(77)。この時ネヴィンは自作の『慈悲』、『羊飼い』、『ハーレクイン』などを弾き、イザドラはネヴィンが『水のシーン』と呼んだ曲で『水の精』を、その他にも『オフィーリア』、『ナルシス』を踊っている。2日後の3月26日には、ニューヨークのウィリアム・K・オティス夫人の家で、ジョン・ミルトンの詩『陽気な人』と『思い耽る人』(78)をイザドラが解釈し踊りで表現しているが、この公演も多数の富裕層の夫人が後援している(79)。イザドラはこの時期、ネヴィンとは別にダンカン一家としても公演を行っている。4月17日のニューヨーク・タイムズ紙は「カーネギー・ホールの大きなスタジオでメンデルスゾーンの『真夏の夜の夢』をピアノの音と共に軽快に踊っているイザドラは、舞踊を通して音楽を翻訳し、上流階級の人たちを喜ばせていた。エリザベスは朗読、母がピアノ伴奏、レイモンドが舞踊を言葉にしていた。カリフォルニアから来たダンカン一家は、彼らが新しい芸術であると同時に新しい科学と言っているものを東海岸に持ち込んだ(80)」とダンカン一家の活躍ぶりを称賛している。UCLAのスペシャル・コレクションズ所蔵のイザドラの初期プログラムから、イザドラが1898年7月18日に、ロンドンのローサー・ロッジで『ナルシスの物語』という題目の公演を行っており、イザドラがマイヤー・ヘルムンドの歌と『ナルシス』を踊り、エリザベスが『オウィディウスより牧歌舞踊組曲』を朗読、母親がピアノを弾いている(81)ことが判明した。このことから、通説(82)に反し、イザドラは1898年の時点で、既にロンドンでも自身の公演を行っていたことが明らかになった。ロンドンでの公演後、イザドラと家族はニューヨークに戻り、7月27日にはオスカー・アイアザジ夫人の別荘にあるボニー・ブラエの庭で公演(83)を、9月にはロード・アイランド・アヴェニューにあるマゾン嬢のヴィラの庭で『テオクリトスの牧歌詩とその他のシーン』と題したリサイタルを開催し(84)、10月にも『ルバイヤート』をダンスリサイタルとして精力的に公演を行っている(85)。1899年3月2日のニューヨーク・タイムズ紙には、「新しい芸術」としてイザドラがポッター・パルマー夫人主催の下にダンスリサイタルを披露し、『ルバイヤート』やネヴィンの『ナルシス』、『陽気な踊り』、『春の精』、メンデルスゾーンの『真夏の夜の夢』、パデレフスキーの『さすらいの踊り』などを踊ったと記され、イザドラの繊細な解釈と情熱的な踊りは素晴らしく、過去に試みられたものとは全く異なっていると評価されている(86)。3月14日にはライシィアム劇場で、ロバート・オスボーン夫人主催の下、作家のジャスティン・ハントレー・マッカーシーのハイヤームについての講義後イザドラが踊るという公演を行っている。公演81