ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

『偽りの花園』(The Little Foxes, 1941)における奥行きの演出-アンドレ・バザンと表現の明白さを巡って-7テイクである。残りの3テイクは全てNGのテイクであり、ここからNGテイク以外は全て現像に回されたということが分かる。本来であれば、たとえ「適度(fair)」や「とても良い(very good)」というメモ書きが残されていても、必ずしも現像に回されることはない。この現像が異様であることはこのショットの注を見ても明らかである。注によれば「反映する正確な位置に馬車を停めることが難しかったため」と書かれている。つまりここでは馬車が看板に反映する位置に正確に止まることが求められているのである。さらにこのショットで重要なのは、看板に映る反映を捉えるためにディープ・フォーカスを用いていることである。この点から見れば分かるように、看板に映る反映とは奥行きの一種なのである。また、続くショットはこういった奥行きを用いたショットではなく、前景に馬車、後景に銀行の看板を磨くハロルドを配置したミディアム・ロング・ショットとなっている。だが、こちらのショットは予備のショットとして記録されており、看板への反映を利用したこのショットが中心となっていた点がよくわかるであろう。このショットによって、看板に反映するザンとアディ、前景にいるキャルの会話と、看板に書かれているのがザンの父親ホレスの銀行であることまで分かる。同じように看板に反映したショットは他にも撮影されており、作品中盤でレオが銀行の金庫から鉄道会社の証券を盗み出すシーンもそれである。まず看板とそれに反射するレオが前景に捉えられ、その後、奥に伸びる道へとレオが画面右側からフレームインする。どのシーンでも重要なのはオフ・スクリーン空間にいるはずの人物が、看板に反映することで明確にその存在が際立たせられる点だ。さらにそのキャラクター達がオフ・スクリーン空間に存在したことを示すように、画面右側の後景を俳優が必ずフレームイン/アウトする。このオフ・スクリーン空間を明確に際立たせるショットは、バザンも言及しているオスカーとレオが髭を剃るシーンにも言える。洗面所で髭を剃っているオスカーがミディアム・ロング・ショットで捉えられる。そこへ画面左側にあるドアを通って、レオがフレームインする。レオは髭を剃る準備のためにコップに水を入れ、髭そり用のナイフを研ぎ、髭を剃る準備をしている。オスカーは画面右側にある鏡に向かって淡々と髭を剃っている。髭を剃る準備を終えたレオはオスカーの背後、画面左側の壁面から補助用の鏡を伸ばす。そして画面左側から伸びる鏡に向かって、レオは髭を剃り始める。レオは画面左側の鏡に視線を向け、オスカーは画面右側の鏡に視線を向けている。こうして二人は視線を合わせずに会話を進めることになる。ここまでのアクションはロング・テイクで撮られる。そのショットに続くのが、オスカーが見ている画面右側の鏡を捉えたショットである。この鏡にはオスカーの顔だけでなく、レオの後ろ姿と、レオの表情を映したもう一枚の鏡も映っている。この反映のみであれば、奥行きの演出というだけに留まる。だがここで異様なのは髭を剃る手のフレームインである。鏡の反映を際立たせるためとはいえ、時には画面の半分を覆うほどの巨大な手がフレームインするのである(8)。オフ・スクリーン空間自体は同時代のジャン・ルノワールやオーソン・ウェルズによっても使用されている。ジャン・ルノワールの『ピクニック』(Partie de Campagne, 1936)に関しては既に言及されてきたように(藤井2009,67‐68)、フレーム外にその空間が広がっているように撮られている。たとえば『ピクニック』の冒頭の釣り竿の侵入や、前景で食事している男たちが窓を開いて後景の人々を捉えるショットは、外へ空間を広げるために用いられている。ワイラーのオフ・スクリーン空間ではフレーム外を画面内に明示し、そこで俳優のアクションまでをも明確に見せている。ルノワールの作品では俳優のアクションはオフ・スクリーンにある空間を押し広げるように撮られているが、フレーム外にいる俳優のアクションを同じショットの中で同時に捉えようとしているわけではない。俳優のアクションをどのように捉えるかという点において、この二人の監督は異質であるとしか言いようがない。それでは同じハリウッドの映画監督オーソン・ウェルズとの比較ではどうであろうか。『偽りの花園』と同じ撮影監督、グレッグ・トーランド(9)が参加している『市民ケーン』にも、オフ・スクリーン空間を窓ガラスに反映させて捉えるシーンがある。それは作品中盤、新たな新聞社員を歓迎するパーティーのシーンである。このシーンではウェルズ扮するケーンが新たな新聞記者達と戯れ、やって来た踊り子たちと踊っている。このシーンの終盤、91