ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

ページ
96/542

このページは RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌 の電子ブックに掲載されている96ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL掲げられている以上、やはりこの問題は避けて通れない。ではバザンはワイラー作品の役者の演出をどのように見ていたのだろうか。バザンは『我等の生涯の最良の年』の結婚式のシーンを論じる中で、以下のように述べる。この映像の中ではまた、視線の方向の重要性についても注意しておこう。視線はワイラーの作品では常に演出の骨格を作っている。観客は、演出家の全ての意図に正確に応じようと思ったら、人差し指の指示する方向に従うように、俳優たちの視線の後を追いさえすればいい。磁石のスペクトル、スクリーン上を横切る劇的電流を鉄の鑢屑のようにはっきりと出現させるためには、その視線を映像の上に直線で具体化するだけで充分だろう。ワイラーの予備的な作業のすべては、演出の機構に可能な限り最大の効果と明晰さとを保証しながら、その演出の機構を最大限に単純化することにある。(バザン1970, 347-350; Bazin 1958, 168-169引用文は訳書に基づく)バザンはここでワイラーの作品での視線が重要であることを指摘し、さらにはそれによって「明白さ」が与えられると述べている。たとえば、第2節で検討した看板に反映する馬車のシーンでは、看板を磨くキャルの視線に注目したい。キャルが最初に視線を向けていた看板に馬車が映り、さらにその馬車が実際にどこにいるのかはキャルの視線によって理解できる。さらに別のシーンでもこの視線の「明白さ」が分かる。ザンとデヴィッドがホテルのレストランで偶然に出会うシーンである。まず前景でザンと黒衣の給仕との会話が映し出され、次いで後景にいた白衣の給仕が離れることでデヴィッドとジュリアの食事が映し出される。この時、ザンは手もとのメニューに視線を向けているため、後景にいるデヴィッドらには気づいていない。給仕との会話が終わりかけた時、ザンはメニューから黒衣の給仕に視線を向ける。そして同じ方向からモカケーキを持って来る白衣の給仕に見とれ、それを視線で追うことでザンはデヴィッドとジュリアを見つける。デヴィッドもザンに気付き近づいてくるのだが、ザンの視線はジュリアの方向を向いたままである。このようにザンの視線を追うだけで、後景にいるザンの恋人デヴィットを見つけることができる。そしてザンの視線はそのまま、ザンの嫉妬へと転化している点も特筆すべきであろう。この時、ザンの視線の流れに沿うだけでなく、ザンの背景と給仕の服装の色にも注目すべきであろう。ザンのいる画面右半分の背景にはドアが置かれて後景は見られない。一方、黒衣の給仕がいる画面左半分にはしっかり後景が映っており、さらに給仕とザンの間の僅かな後景の中にデヴィッドとジュリアが映っている。また2人の給仕が黒衣と白衣を着てコントラストをなしている。黒衣の給仕が前景にいることで、白衣の給仕が後景と前景を行き来することがより一層際立つように衣装が配色されている。さらにこのシーンに関しては、もう1つ、デヴィッドと会話するジュリアに関して検討しておかなければならない。脚本上ではジュリアは多くの台詞を持ち(Folder 300)、さらに1941年5月22日の撮影記録ではジュリアの表情を捉えたクロース・アップがショット/切り返しショットで撮られていたことが記録されている。だが実際の作品にそのようなジュリアの台詞やショットは、ほとんど見られない。この記録などから考えると、編集段階でジュリアの登場したショットが削られたと考えられる。こうした削除の結果、ザンとデヴィッドのやりとりに限定されていったのがこのシーンなのである。バザンが「単純化」と述べたワイラーの作業は、こうした点にも見ることができる。ここまで視線やアクションによって注意が明確に引き起こされる点に関して見てきたが、あえて180度システムを破ることを明瞭に表すという点もワイラーは演出している。たとえばホレスの死に関して、先ほども触れたようにわざと180度システムを破ることで視線が一致していないかのような印象を演出する点はそうした技法に入るであろう。またこの180度システムを破る点はズボンの裾を論じたボードウェルも同じシーンの中で指摘している。バーディの悪口を聞いたオスカーがバーディを殴るアクションでショットは繋がれるのだが、ここでも180度システムは破られている。ボードウェルはこれによって「オスカーの暴力を加速させている」と述べている。またオスカーとレオが髭を剃るシーンは180度システムを破ったわけではないが、二人の視線が合っていない点は重要である。エスタブリッシュ・94