ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALであれば、ヒロインが服飾店に買い物に行くシーンはまさにそれに当てはまるだろう。鏡と鏡の間に反映しながらも、その反映の中で戯れているヒロインの姿は、あの髭を剃る親子を捉える反映を予告しているかのようではないだろうか。ワイラーによる奥行きの演出に関してはまだまだ分析の余地があり、今後も研究が必要である。とにかくここで重要なのは、物語の明快さと奥行きの演出が実際に並立しうることである。美学的にそれらは互いに異なったリアリズムに基づいており、あたかも矛盾し合っているように見えてしまう。だがバザンは、美学的には矛盾しながらも、二つのリアリズムを表現したものとしてワイラーの演出を見たのではないか。その意味でワイラーの演出は、矛盾し合う二つのリアリズムを超えて存在していたのである。注(1)この論文は三つの文章を繋ぎ合わせたものである。初出の年号は「カイエ・デュ・シネマ」誌の第1号(1950年)による。他にも1952年の論文と、1955年の論文とを合わせて改稿されている(バザン2015, 134-135;Bazin 1958, 131)。また今回、バザンからの引用文に関しては小海訳と野崎・大原・谷本訳を併用した。前者は全4巻を全訳したのに対して、後者は1975年にバザンの代表的論文を選りすぐって編纂された1巻本の翻訳となっている(バザン2015, 255)。ただし原書に関しては全て1958年に刊行されたものを参照した。(2)マーガレット・へリック・ライブラリーは『偽りの花園』に限らず、ウィリアム・ワイラーの関係資料を多く所蔵している。内容を概観するだけでもサイレント時代の作品に関する資料や、本来監督する予定であった『わが谷は緑なりき』(How Green was My Valley,1941)の関連資料、監督同士の書簡による交流記録など、実際の制作時の資料以外も幅広く保管されている。今回、使用するのは『偽りの花園』の脚本と、撮影記録である。この『偽りの花園』の資料は全てBox 22に収められている。(3)デクパージュは映画用語としては「カット割り」や「コンテ」の意味で使われるが、ここでは画面構成や広義の編集なども含めた多義的な意味として定義されている(バザン2015, 54)。(4)ミトリはヒロインの存在をいつ明らかにするのか、という点に着目している。ただしここで忘れていけないのはそのヒロイン、つまりテレサ・ライトがスターであるということだ。大半の観客が顔を知っているスター、テレサ・ライトが玩具の飛行機を受け取ることによって、我々は注意を惹きつけられる。念のため、1946年のテレサ・ライトについて少々詳しく述べておく。まず1942年の第15回アカデミー賞では『ミニヴァー夫人』(Mrs. Miniver, 1942)で助演女優賞を獲得し、同時に『打撃王』(The Pride of the Yankees,1942)で主演女優賞にノミネートされている。さらに本論で研究される『偽りの花園』ではデビュー作でありながら、第14回アカデミー賞で助演女優賞にノミネートされている。『打撃王』はサム・ウッド監督の作品ではあるが、他の2作品がいずれもワイラーの監督作品である点はとても興味深い。(5)ここでは『フィルム・アート――映画芸術入門』におけるフレームサイズとオフ・スクリーン空間の定義(Bordwell Thompson 2007, 248-252)に従う。(6)Box 22の資料のうち脚本だけに限定して詳述しておきたい。所蔵されている資料には原案の戯曲の脚本が1本、リリアン・ヘルマンによる脚本が5本、アーサー・クーバーによる修正稿が5本、ドロシー・パーカーとアラン・キャンベルによる最終稿が3本、合計で14本の脚本が存在する。リリアン・ヘルマンとアーサー・クーバーの脚本はそれぞれ重複した稿も含んでいる。たとえばFolder 292とFolder 293のリリアン・ヘルマンの脚本はどちらも第2稿である。また日付も明確に記載されたものとされてないものがあり、この点も推測して考えなければならない。今回は以下の順番で推移されたものと見なして考察する。Folder 290:戯曲版脚本(1940年2月12日にコピー。初演は1939年2月15日と記載。)Folder 291:リリアン・ヘルマンによる脚本第1稿(年号・日付不明。)Folder 292/293:リリアン・ヘルマンによる脚本第2稿(共に1940年6月5日にコピー。)Folder 294/295:リリアン・ヘルマンによる脚本最終稿(年号・日付不明。)Folder 296/297:アーサー・クーバーによる修正稿第1稿(Folder 297のみ1941年3月17日と記載され、ワイラーの署名あり。本稿よりサミュエル・ゴールドウィンによる機密保持の注意書きが冒頭部に記載されていく。)96