ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL岩の描き方は、古典様式と称されるバーイスングル写本はもちろん、ムハンマド・ジューキー(Muh?ammad J?k? 1402-1444年)【図1】やシャー・タフマースブ(Sh?h Tahm?sb 1514-1576年)【図2】などティムール朝以降の写本挿絵にも描かれている。以上のように、ペルシアの写本挿絵における岩山の描写は、中国絵画の影響を受けて発達した。3.おわりに本稿では、ペルシアの写本挿絵における古典様式をティムール朝のバーイスングル様式と定義した上で、バーイスングル写本の岩山の描き方に至る過程を中国美術と比較して論じた。ペルシアの写本挿絵における中国美術の影響については、多くの先行研究があるが、いずれも中国の影響が強いイル・ハーン朝の作例か『サライ・アルバム』に集中しており、ペルシアの写本挿絵における古典様式にどのような影響を及ぼしたのかは詳しい検討がなされていない。しかし、イル・ハーン朝、ジャラーイル朝からティムール朝と時系列に検討することで、ペルシアの写本挿絵に定型化する岩山の描写は中国由来であることが確認できた。さらに、岩山に含まれた顔面石のモチーフに注目すると、中国絵画における岩肌の描き方との強い関連性が見出せ、ペルシアの写本挿絵における古典様式に、中国絵画のモチーフや技法が採用された様子が伺える。顔面石を含む複雑な岩の構成のみならず、岩場に生えた枯れ木や、散らし文様のように描かれている草花も同様に、中国絵画の影響が指摘されている。古典様式の岩山の描写が中国由来であることからは、ペルシアの写本挿絵における他の風景描写のモチーフも、岩山と同様に中国絵画の影響を受けてペルシア化したと考えられよう。注(1) Bloom & Blair (2009), p. 226.(2) Grube (1968), pp. 28-40; Bloom & Blair (2009), p. 252.(3) Grube (1968), pp. 20-21.(4)バーイスングルの写本挿絵はcanonical, classical, codifiedなどと表現されていることから、古典様式とした。ギリシア・ローマ美術との関連性を指すのではなく、類似した構図を採用するペルシア・イスラーム美術のなかで規範に値することを意味する。(5) Grube (1968), pp. 20-21; Lentz (1985), p. 66.(6) Grube (1968), p. 11.(7) Lentz (1985); Sims (1992); Hillenbrand (2010).(8)注7に挙げたものは『バーイスングルの「シャー・ナーメ」』写本挿絵の模本についての研究である。EIr:“B?yson?or? ??h-n?ma.”によると、写本の本文も校訂によって後世の基礎となったと記されている。(9)ペルシアの写本挿絵における中国美術の影響に関しては、Loehr (1954); Grube(1968); Sims (1974); Sugimura(1986); Kadoi (2009)他多数。(10)中国美術の影響を述べる先行研究のほとんどが、イル・ハーン朝、ジャラーイル朝で制作された『集史』『大モンゴル「シャー・ナーメ」』『サライ・アルバム』を取り上げるのみで、15世紀ティムール朝以降のペルシアの写本挿絵との関わりには言及していない。古典様式との関連性を取り上げた先行研究はSims (1974)で、ティムール朝の宮廷様式に中央アジアや中国美術が関与していることに言及している。(11)イスラーム教は宗教上の偶像崇拝は否定するものの、世俗美術における造形表現までは禁止しておらず、植物や山など生命を持たないものを描くことは一般に認められていた。そのため、生命の宿らないはずの岩に顔を描く行為は、イスラームの教えに照らして疑問が残る。(12)顔面石をテーマとした先行研究は、Brend (1980);バルトルシャイティス(1985); O’Kane (1991); Ergin (2013).(13) Kadoi (2009).(14) Ibid., pp. 123-238.(15) 1290年、制作地バグダード、フランス国立図書館、MS. Supp. Pers. 205.(16) 1297-98年、制作地マラーゲ〈イラン〉、モーガン図書館、M. 500.(17) 1307-08年、制作地イラン/イラク、エディンバラ大学図書館、MS. Arab. 161.(18) 1314年、制作地タブリーズ〈イラン〉、エディンバラ大学図書館、MS. Arab. 20/ナーセル・D・ハリーリー・コレクション、MS 727(19) Kadoi (2009), p. 127.(20) 1300年頃、制作地モスル?、大英図書館、Or. 14140.(21) Kadoi (2009), pp. 128-130.(22) Ibid., p. 134.(23)三角形の山が中央アジア由来であることは、Sims(2002), p. 68.(24) Kadoi (2009), pp. 202-204.(25)地方都市の作例は、モンゴル到来以前にもたらされた188