ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALの前提として、次にエックハルトの形相一般に関する理解を見ていきたい。形相因の内性エックハルトは、『知恵の書註解』第20節において、「神はすなわち、すべてのものを造られたが、それは全てのものが存在するためであった」という「知恵の書」の言葉を解釈して、次のように述べている。第二に注目すべきことは、全ての事物は、それが何であるかということに関しては、作用因も目的因も有していないことである。(10)「知恵の書」によれば、神は、全ての存在者が存在するという目的のためにそれらを造った。エックハルトはこの記述の言わば裏を読んで、「全ての事物」は存在することを目的とするが、「それが何であるかということ」即ち何性ないし形相の水準においては目的を持たない、つまり、作用因も目的因も有していないと主張するのである。どういうことか。エックハルトの形相理解を探るにあたって、形相因を含む四原因の理解を明確にしておく必要から、この20節を検討したい。全ての存在者が何性の水準において作用因も目的因も有していない、ということの証明としてエックハルトは、「作用因と目的とは外的原因であり、またそう呼ばれる」からであると述べている。つまりエックハルトは、いわゆる四原因のうち、形相因および質料因と、作用因および目的因とを明確に二分しているのである。ではなぜ、作用因と目的因とは外的原因であるとされるのであろうか。エックハルトはこの箇所で、上記の事柄の証明としてさらに、「事物は、それが何であるかということを、他のものから有するのではない」というアヴィケンナの言葉を挙げている。この言葉を解説して、エックハルトは次のように言う。人間が存在し、動物が存在することは、他のものに由来するが、しかし人間が動物ないし身体ないし実体であることは、自分自身以外のいかなるものにも由来することではない。…(中略)…それゆえに、「人間は動物である」ことは真であり、たとえ人間が外部世界に存在しなくても、知性においては真である。というのは、論理学者によれば、そのような陳述においては、「ある」は繋辞であり、事物の現実存在を述べるものではなく、名称のうちに内在しているものを述べているに過ぎないからである。…(中略)…しかし、事物の現実存在については、ないしは事物の存在そのものについては、事態は異なる。というのは、これはそれ自体としては、外部世界の原因を指示しているからである。(11)存在者の存在は勿論神に由来するのであって、この場合神は存在者を存在せしめる作用因である。そしてまた、全ての存在者は「存在するため」に創造されたのであるから、存在するということは存在者の目的因である。そして、これら神や存在するということは存在者の言わば外部に立てられた目的ないし原因であるから、エックハルトは作用因や目的因を外的原因と呼ぶのである。これら作用因や目的因に対して、存在者の何性がいかなる外的原因にも由来しないということが、「ある」という語の機能に即して述べられている。即ち、存在者の何性を言う際の「ある」は、その存在者の存在ではなく本質を表示するものなのであって、或る存在者がかくあることは、その存在者が神によって現実にあらしめられるか否かに関わらず真である。或いはエックハルトの語りに即して言うならば、一人の人間が現実に存在するか否かということは絶対的に神に依存するが、しかし人間が動物であるということは、人間以外の如何なるものにも依存しないのである。この意味で存在者の本質は、いかなる外的原因にも依存しないということになる。以上、『知恵の書註解』第20節から、エックハルトによる四原因理解の一端を見た。エックハルトは四原因のうち作用因と目的因とを外的原因とし、これに何性を内的なものとして対置するのであって、その根拠は、存在者の本質が存在の有無に依存しないという点にあるのであった。そして、以上のように四原因を外的なものと内的なものとに二分する考え方は、他の箇所において次第に独自の方向性をとって表れてくるのである。この様子を次に見たい。エックハルトは『知恵の書註解』第169節において、次のように語っている。24